17  世界モデル ── 脳はなぜ世界に似るのか

前章の自由エネルギー原理は、「脳は世界の生成モデルを持つ」と主張した。そして前章で見たとおり、その主張の検証は難しい。何を観測しても後づけで説明できてしまうのではないか、という批判に、理論の側はまだ十分に答えていない。

ならば、作ってみたらどうか。

これが AI 側のアプローチだった。第10章第7節で、その作り方を見た—潜在状態の遷移モデルと観測モデルを学習し、その中で計画する。作ったものには、少なくとも構造の曖昧さがない。設計図があるからだ。

だが、構造が分かることと、中身に何が入っているかが分かることは別である。本章で問うのは、その先である。設計図があるとして、そこには何が入っているのか。そして—

脳とAIの表現が似てくるとしたら、それはなぜなのか。

この二つの問いは、じつは一つである。世界のモデルを内に持つ系は、世界の構造に似ざるをえない。だとすれば「なぜ似るのか」は「何を内に持っているのか」の裏返しになる。本章はこの見立てを、作る側と脳の側の両方から検討する。

ヒント本章のガイド

第1〜2節が土台である。第1節で世界モデルという考えの来歴を辿り、第2節で「なぜモデルを持つのが合理的なのか」を制御理論の古い定理から与える。前章の自由エネルギー原理が前提にしていた理屈が、ここで先に手に入る。

第3〜6節が、作られた世界モデルの検討である。第4節が本章の核心で、「予測誤差をどの空間で測るか」という選択を扱う。技術的な設計の話に見えて、中身は第12章の測定の問題そのものである。ここだけは飛ばさないでほしい。

第7節で脳の側に戻る。認知地図や場所細胞は、世界モデルの実物と呼べるだろうか。

第8〜10節が本章の到達点である。なぜ収束が期待できるのか(第8節)→ 実際に収束しているのか(第9節)→ 脳とAIを比べるには何が必要か(第10節)と進む。第11章の表現幾何、第12章の測定論、第13章の対称性が、ここで全部使われる。

第10節を読み終えたら、次章で「そもそも表現と呼べるのはどういうときか」を問うことになる。


1. 世界モデルとは何か ── この考えの来歴

まず言葉を整えたい。「世界モデル」という語は、いま広く使われているが、指しているものが一つではない。

第10章第7節では、遷移モデルと観測モデルの対として定義した。潜在状態が行動を受けてどう動くかを決めるのが遷移モデル、その状態から何が見えるかを決めるのが観測モデルである。強化学習の文脈では、これで十分だった—計画に使えればよいのだから。

だが本章の問いは「そこに何が入っているのか」である。すると、この定義では足りない。何を予測させるかによって、中身がまるで違うものになるからだ。

内的模型という発想

出発点は、計算機より古い。

Craik (1943) は、神経系が「外界と、自分がとりうる行動の、小規模な模型(small-scale model)」を持っていると論じた。模型を持っていれば、実際に試す前に頭の中で試せる。失敗も頭の中で済む—だから危険を避けられる。

言われてみれば当たり前に聞こえるだろうか。だが、これは行動主義が支配的だった時代の主張である。刺激と反応の連鎖だけで行動を説明しようという当時の潮流に対して、内部に世界の代理物を要求した議論だった。第10章で触れた Tolman (1948) の認知地図も、同じ時代の同じ趣旨の主張である。

世界を微分可能にする

この発想を、学習するネットワークとして実装する提案が1990年前後に現れる。

Schmidhuber (1990) の言い方が、いちばん鋭い。世界を微分可能にする(making the world differentiable)というのである。

何を言っているのか。実世界は微分できない。行動を少し変えたら結果がどれだけ変わるか—その勾配は、世界に問い合わせても返ってこない。何度も試すしかない。

ところが、世界の代理となるネットワークを学習しておけば、話が変わる。代理は微分可能である。だから「この行動をこう変えれば結果がこう変わる」を勾配として計算し、制御側をその勾配で直接に訓練できる。世界を微分可能な部品に置き換えてしまう、という発想である。

同じ著者は翌年、モデルの誤差そのものを内発的な報酬として使う提案も出している(Schmidhuber 1991)—予測が外れる場所へ行けば、モデルが良くなる。第10章第6節で触れた好奇心駆動の探索の原型であり、前章第4節の情報利得とも同じ形をしている。

実装として結実したのは、それから四半世紀後だった。Ha & Schmidhuber (2018) が、学習した世界モデルの中だけで方策を訓練し、それが実環境で動くことを示した—第10章第7節で見た「夢の中で学習する」である。Dreamer 系がこれを洗練させたことも、そこで述べた。

「世界モデル」が指すものを分ける

ここまでで、系譜の中に少なくとも四つの立場が混じっていることが見える。整理しておこう。

何を予測させるか 何のために 代表例
観測そのもの(ピクセル) 世界を映像として再現する 動画の生成モデル(第5節)
潜在状態。ただし表現は観測の復元で支える 低次元の空間で先を読み、その中で計画する Ha & Schmidhuber (2018)、Dreamer(第10章第7節)
復元しない。価値と方策に必要な量だけ 行動を決める MuZero(第10章第7節)、後継者表象
符号化した表現。復元しない 予測できないものを捨てて表現を学ぶ JEPA(第4節)

二行目に注意してほしい。Ha と Schmidhuber の構成でも Dreamer でも、先を読むのは潜在空間の中だが、その潜在を作る段では観測を復元している。 復元をいっさいしないのは三行目と四行目である—MuZero が学習するのは報酬・価値・方策を当てるのに必要な量だけだった(第10章第7節)。

つまり、上の二つは観測の空間で誤差を測り、下の二つは測らない。 この一点が本章第4節の主題になる。

同じ「世界モデル」という語が、この四つのどれを指すこともある。そして第4節で見るように、どれを選ぶかは「何を無視してよいか」の決定である。無視の仕方が違えば、内部に残るものも違う。

読者に問いたい。あなたが「脳は世界モデルを持つ」と聞いたとき、思い浮かべたのはこの表のどれだっただろうか。前章の自由エネルギー原理が主張していたのは、どれだろうか。


2. なぜモデルを持つのが合理的か

前章の自由エネルギー原理は「脳は世界の生成モデルを持つ」と主張した。作る側の話に入る前に、この主張の理屈を確かめておきたい。

なぜモデルを持つのが得なのか。持たない設計は、なぜ不利なのか。

これに答える古典的な定理がある。制御理論の側から出たもので、Conant と Ashby (1970) の良い調節器定理(good regulator theorem)と呼ばれる。標題がそのまま主張になっている—「系をうまく調節するものは、必ずその系のモデルである」。

設定を書く

生体温を保つ、という課題を思い浮かべながら読んでほしい。三つの量を置く。

  • 外乱 D — 世界から来る、こちらで決められない変動(外気温、風、日射)
  • 調節の手 R — こちらが打てる手(震える、汗をかく、日陰に移る)
  • 結果 Z — 生体にとっての帰結(体温)

結果は、外乱と手の両方で決まる。

Z = \phi(D, R)

目標は、Z をばらつかせないことである。ばらつきの尺度としてエントロピー H(Z) を取ろう。うまい調節とは、H(Z) が小さいことだ。

ここで一つ、仮定を置く。同じ手を打ったなら、違う外乱は違う結果を生む。 つまり R を固定したとき、D \mapsto Z は単射である。これは「調節器が外乱を勝手に消し去ることはできない」という、素直な要求である。

もう一つ、断っておく。以下では DRZ有限通りの値を取るとして話す。連続量にすると次の不等式は成り立たなくなる—微分エントロピーは目盛りの取り替えで動いてしまうからだ(第5章第2節)。Z の単位を千分の一にするだけで H(Z) はいくらでも小さくなり、不等式は破れる。有限通りに区切って数えるところが、この議論の効いている場所である。

不等式を一本

この設定から何が出るか、実際に手を動かしてみよう。以下は要点だけを取り出した略証で、原論文の筋立てとは違う。だが結論は同じところに着く。

仮定によって、RZ の両方を知れば D が分かる。復元できるのだから、

\begin{aligned} H(D) &\le H(Z, R) && \textsf{($D$ は $(Z,R)$ から復元できる)}\\ &\le H(Z) + H(R) && \textsf{(同時エントロピーは和で押さえられる)} \end{aligned}

移項すれば、これだけである。

H(Z) \;\ge\; H(D) - H(R)

式を読もう。左辺は結果のばらつき、これを小さくしたい。右辺には外乱のばらつき H(D) が居座っている。世界が多様であるという事実は、こちらの都合で消えてくれない。 減らせるのは H(R) を大きくすることによってだけである。

つまり—多様な外乱に対して結果を一定に保つには、調節する側も少なくとも同じだけ多様でなければならない。 これはアシュビーが必要多様性の法則(law of requisite variety)と呼んだ主張である(Ashby 1956)。「多様性は多様性でしか打ち消せない」という言い方で知られている。

ここがポイント

世界が n 通りに変わるなら、こちらも n 通りに応じ分けなければ、結果を一つに保てない。

素朴だが、これが定理の心臓である。

「モデル」はどこから出てくるか

ここまでは多様性の話でしかない。ではモデルはどこで要求されるのか。

H(R) を大きくするだけでは足りない、というところが要点である。やたらに手を変える調節器—外乱と無関係にサイコロを振って手を選ぶ調節器—を考えてみよう。H(R) は大きい。だが結果は良くならない。当たり外れがランダムに出るだけである。

効くのは、外乱に応じて手を選ぶことだ。RD の関数になっていなければならない。

R = \rho(D)

ここで、さきほどの不等式に上から蓋をしておこう。 RD の関数なら、Z = \phi(D,\rho(D))D の関数である。関数を通した先のばらつきが元より増えることはないので、H(Z) \le H(D)。さきほどの下界と合わせると、こう挟まれる。

H(D) - H(R) \;\le\; H(Z) \;\le\; H(D)

左端を読んでほしい。完全に制御する—つまり H(Z) = 0 にする—には、H(R) \ge H(D) でなければならない。ところが RD の関数なのだから、H(R) \le H(D) でもある。二つを併せると H(R) = H(D)、すなわち \rho は単射でなければならない。

この結論の意味を噛み砕こう。 \rho が単射でないとは、違う外乱に同じ手を打つということである。だが仮定によって、同じ手を打てば違う外乱は違う結果を生む—つまり結果がばらける。完全な制御と、外乱の取り違えは両立しない。

先の「ここがポイント」を定量的に言い直せば、こうなる。世界の n 通りを一つも取り違えない対応表を内に持つことが、完全な制御の必要条件である。 これが「良い調節器はモデルである」という標題の中身にあたる。

Conant と Ashby が示したのは、H(Z) を最小にするとき、系の状態から調節器の状態への決定的な写像が存在しなければならないということである。系の側の区別が、そのまま手の側の区別に写される。区別のしかたが対応していなければ、最適にはならない。

ここで保たれている「構造」を、はっきり言っておきたい。 それは区別のしかたである—どの状態を同じものとして扱ってよいか、どれは扱ってはいけないか、という分け方だ。「準同型」という語は、何の構造を保つのかを言わなければ意味を持たない(第12章第3節)。ここでの答えは「区別」である。

そしてこの写像が、彼らの言う「モデル」である。調節器の内部には、世界を行動へ写す対応表が、いやおうなく埋め込まれている。

一点、原論文が注意していることを写しておく。この写像は同型ではなく準同型である。 系の状態を一対一に写す必要はなく、区別しなくてよいものは潰してよい。モデルは対象の情報を落としうる—落としてなお最適でありうる、というのが定理の言っていることである。

気づいてほしい。 情報を落としながら構造を保つ写像—これは第12章第3節の準同型そのものである。測定の表現定理で、経験的な関係構造を数の構造へ関係を保って写したときの、あの構造である。制御理論が独立に到達したところに、同じ形が現れている。第18章第4節では、表象の哲学の側からも同じ形が出てくることを見る。三つの分野が別々に、「モデルを持つとは準同型を持つことだ」と言っていることになる。

この定理は何を保証しないのか

魅力的な定理だが、証明できたことを大きく取りすぎてはいけない。教科書として、射程を明示しておきたい。

第一に、ここでの「モデル」は対応表である。シミュレータではない。頭の中で未来を走らせる必要はまったくない。反射でも、固定された回路でも、条件さえ満たせばこの定理の意味で「モデル」である。前章の自由エネルギー原理が主張する生成モデル—確率分布を持ち、サンプルを生成できるもの—は、これよりはるかに強い。同じ「モデル」という語で二つを繋いでしまうと、証明されたことが水増しされる。

第二に、取り出せる形で持っている必要がない。 モデルは制御則の中に溶けていてよい。第18章第5節で見るポルドラックの脱結合可能性—刺激がなくても表現として働くこと—は、この定理が要求するものよりずっと強い条件である。

第三に、外乱が観測できることが前提になっている。RD の関数にせよと言われても、D が見えなければ従えない。見えないものについては、感覚から推定するほかない—そこで初めて、前章の推論の話が要る。

第四に、これは最適な調節器についての言明である。生物が最適だという保証はどこにもない。

予測はどこで要るのか

もう一点、足しておきたい。ここまでの議論に時間が出てきていないことに気づいただろうか。

現実の制御には遅れがある。感覚が届くまでに時間がかかり、筋が動くまでにも時間がかかる。遅れがあるなら、いま届いた信号に応じるだけでは間に合わない。これから来るものに応じなければならない。

ここで対応表は、未来を当てる装置に格上げされる。前章第5節のアロスタシスがまさにそれだった—立ち上がる前に血圧を上げておく。第7節で見る小脳の順モデルも、同じ理由から要求される。感覚フィードバックは遅すぎるので、予測なしに素早い運動は制御できない。

遅れが、予測するモデルを合理的にする。 良い調節器定理は対応表を要求するだけだが、そこに時間を入れると、対応表は世界の先を読む装置になる。次節から、その装置を実際に作る話に入ろう。


3. 時系列に伸ばすと、予測符号化が出てくる

まず、第10章では触れなかった学習の話から入ろう。世界モデルは変分推論で学習できる。第14章の下界を、時間方向に伸ばすだけである。

\mathcal{L} = \sum_t \Big\{ \underbrace{\mathbb{E}_q\big[\log p(x_t\mid z_t)\big]}_{\textsf{再構成}} \;-\; \underbrace{\mathbb{E}_{q(z_{t-1}\mid x_{\le t-1})}\Big[\mathrm{KL}\big(q(z_t\mid x_{\le t}) \,\|\, p(z_t\mid z_{t-1},a_{t-1})\big)\Big]}_{\textsf{予測とのずれ}} \Big\}

KL の外側にもう一段の期待値が要ることに注意してほしい。予測分布 p(z_t\mid z_{t-1},a_{t-1}) は前の時刻の状態に依存するので、その z_{t-1} についても平均を取らねばならない。なお t=1 の項では、遷移モデルの代わりに初期分布 p(z_1) を使う。

KL 項を読んでほしい。「いま観測から推論した状態」と「前の時刻から予測した状態」のずれである。

これは前章第1節の予測符号化そのものだ。第14章の下界を時系列に伸ばすと、予測誤差の最小化が自動的に出てくる。世界モデルの学習と予測符号化は、別々に提案されたが同じ式だった—本書で何度も見てきた合流が、ここでも起きている。


4. どの空間で予測するのか ── 本書の中心にある問い

さて、ここからが本節の核心である。

上の ELBO には再構成項があった。画像を復元して、元の画像と比べる。だがこれは本当に良い設計だろうか。

考えてみてほしい。窓の外の木の葉は風で揺れている。その揺れ方を予測することに、意味はあるだろうか。ピクセル空間で誤差を測る限り、モデルは葉の一枚一枚を予測しようと労力を注ぐ。本質的でない細部が、損失の大半を占めてしまう。

LeCun (2022) の提案は、予測する場所を変えることだった。画像を復元するのではなく、符号化した表現の空間で予測する。JEPA(Joint-Embedding Predictive Architecture)と呼ばれる考え方である。

\text{ピクセル空間: } \ \big\|x_{t+1} - \hat{x}_{t+1}\big\|^2 \qquad\text{対}\qquad \text{表現空間: } \ \big\|f(x_{t+1}) - \hat{h}_{t+1}\big\|^2

予測できないものは、符号化の段階で捨ててしまえばよい—これが JEPA の発想である。

だが、ここに落とし穴がある。f を学習で決めてよいなら、f \equiv 0 が最強の解になってしまう。何も符号化しなければ、予測は完璧に当たる。誤差はゼロである。これを表現の崩壊(collapse)と呼ぶ。第11章第6節で扱った「表現の次元」が、ここでゼロに潰れる。

だから JEPA 系の手法は、崩壊を防ぐ仕掛け—非対称なネットワーク、指数移動平均で更新する目標側、分散を保つ正則化—を必ず抱えている。これらは本質的な解決ではなく、当て木である。どう防ぐのが正しいのかは、まだ分かっていない。

それでも、表現空間で予測するという選択そのものについては、理論的な裏づけが出てきている。Van Assel ら (2025) は単純化した設定で両者を解いて比べ、表現空間で予測する側が要求する条件のほうが弱いことを示した。とくに、課題に無関係な特徴が大きな振幅を持っているときに有利になる。窓の外で揺れる葉の話が、そのまま条件として現れているわけである。

どんな場合でも有利なのではなく、条件つきで有利である—この形の結果が積み上がることが、設計を経験則から原理に変えていく道だろう。ただし注意してほしい。この解析はどちらの空間で予測するかを比べたもので、崩壊をどう防ぐかには答えていない。 当て木は当て木のまま残っている。

ここがポイント

「どの空間で予測誤差を測るか」は、第12章の測定の問題そのものである。

ピクセル空間の二乗誤差は、「二つの画像がどれだけ似ているか」を答えなしに決めてしまっている。それは第12章第9節で相関距離について問うたのと、まったく同じ構造の問いだ—距離を選ぶことは、何を無視するかを選ぶことである。

表現空間で測れば、何を無視するかを学習で決められる。だが決めさせすぎれば、何も残らない。世界モデルの設計は、この綱引きの上に立っている。


5. 動画が作れれば、世界を理解したことになるのか

近年、驚くほど自然な動画を生成するモデルが現れた。物が落ち、水が流れ、影が動く。開発者たちはこれを世界シミュレータと呼んでいる。

では、これらは世界モデルだろうか。

慎重に区別したい。「もっともらしい動画を出力できること」と「世界の法則を内部に持っていること」は、同じではない。前者は後者の証拠になりうるが、証明にはならない。

判定の手がかりを四つ挙げておく。

第一に、介入への応答。訓練分布にない介入を加えたとき、法則に従った結果を返すか。「この物体だけ質量を10倍にしたら」に答えられるモデルは、法則を持っていると言いやすい。

第二に、長期の一貫性。画面外に出た物体が、戻ってきたときに同じ物体であり続けるか。物体の永続性を、モデルは持っているか。

第三に、保たれるべき量が保たれるか。物理の法則は、たいてい何かの保存則を伴う。エネルギー、運動量、質量。法則を持っているなら、それらは勝手に増えたり減ったりしないはずである。 そして都合のよいことに、この検査には正解が要らない—保存量は、モデルの出力だけを見れば計算できる。次節の「手を動かす」で、実際にこれをやってみる。

第四に、行動に使えるか。前項で見たように、世界モデルの本来の用途は計画である。生成した動画の中で計画を立て、実世界で成功するか。これがいちばん厳しい検査だろう。

四つとも、「世界を理解している」という主張を「何を測れば否定できるか」の形に翻訳する作業である。そして四つの並べ方には意味がある—上へ行くほど手軽に測れ、下へ行くほど厳しい。保存量の検査が三番目に来るのは、測るのが安く、しかも一発で否定できるからである。


6. 世界モデルか、直接当てはめか

そして本節を、第9章に置いてきた宿題に接続して閉じたい。

世界モデルという考え方は、一つの立場を前提にしている。世界には圧縮可能な法則があり、賢い系はそれを内部に取り込む、という立場である。物理法則を学べば、見たことのない状況にも外挿できる。

Direct Fit は、これを正面から否定する(第9章第8節)。Hasson らの主張はこうだった—脳もネットワークも、簡潔な法則など獲得していない。膨大なパラメータで空間を密に覆い、その上を内挿しているだけである。外挿しているように見えるのは、訓練データが思ったより近くにあるからだ、と。

二つの立場は、こう対立する。

世界モデルの立場 Direct Fit の立場
内部にあるもの 圧縮された法則 密なサンプルと内挿
未知への対応 法則からの外挿 近傍からの内挿
良いモデルとは 簡潔なモデル 大きなモデル
汎化の説明 構造を捉えたから 空間を覆ったから

そして、切り分けは難しい。世界モデルが「法則を学んだ」ように見えるとき、それが本当に法則なのか、単に訓練空間が広かっただけなのかを、どう区別するのか。第9章第9節で開いたこの問いに、本書はまだ答えを持っていない。

ただし、問いを鋭くすることはできる。前節に挙げた四つの判定—介入への応答、長期の一貫性、保存量、計画への利用—は、まさにこの区別を狙った検査である。内挿では通れないが、法則を持っていれば通れる課題を設計する。それが、この論争を実験に落とす道筋になる。

ヒント手を動かす

第3章で扱った振り子でよい。角度と角速度から次の時刻の状態を予測する小さなネットワーク(2層 tanh、96ユニット)を学習させよう。コードは コード/17_pendulum.py にある。

DT, G, L = 0.05, 9.8, 1.0

def step(s):               # 真の力学(半陰的オイラー)
    th, om = s[..., 0], s[..., 1]
    om2 = om - DT*(G/L)*np.sin(th)
    return np.stack([th + DT*om2, om2], -1)

def energy(s):             # 本来は保存されるべき量
    return (0.5*(L*s[..., 1])**2
            + G*L*(1 - np.cos(s[..., 0])))

def make_data(n, amp):     # 状態そのものより差分を予測させる
    s = np.stack([rng.uniform(-amp, amp, n),
                  rng.uniform(-amp, amp, n)], -1)
    return s, step(s) - s

def rollout(f, s0, n):     # 予測を n 回積み重ねる
    s, out = s0.copy(), [s0.copy()]
    for _ in range(n):
        s = s + f(s[None])[0]
        out.append(s.copy())
    return np.array(out)

ネットワーク本体(2層 tanh の Net クラス)は配布コードにある。energy は学習にいっさい使っていない—だからこそ、保存されるかどうかが試験になる。

訓練データは |\theta|, |\omega| < 0.5 の範囲から4000点。1ステップの予測誤差は 1.7\times10^{-3} まで下がる。よく当たっている、と言いたくなる。

では、その予測を繰り返し適用したらどうなるか。軌道に沿ったエネルギーの変化率を測る。振り子は保存系なので、本来はどれもゼロであるべきである。

初期振幅 20歩後 100歩後 500歩後
0.3 +51\% +5.8\times10^{4}\% +8.2\times10^{5}\% 訓練範囲内
0.5 +1187\% +4.3\times10^{4}\% +3.4\times10^{5}\% 訓練範囲内
1.0 +855\% +1.2\times10^{4}\% +9.2\times10^{4}\% 訓練範囲の外

訓練範囲の内側でも、エネルギーが爆発している。1ステップの誤差が 10^{-3} でも、それを500回積めば軌道は原形をとどめない。一歩の精度と、長時間の安定性はまったく別物である。

しかも面白いことに、学習を早めに打ち切ると逆の壊れ方をする—エネルギーが単調に減衰し、振り子が止まってしまう。誤差の積み重なる向きが変わるだけで、どちらにせよ保存則は満たされない。

そして本節の問いに戻る。このネットワークは「振り子の法則を学んだ」と言えるだろうか。1ステップの予測は当たる。だがエネルギーは保存しない。「予測が当たること」と「法則を持っていること」の距離が、ここに見えている。

さらに問い—では、エネルギーが保存されていれば「法則を学んだ」と言ってよいだろうか。言えない。 いま試したのは第5節の四つの判定のうち三番目だけである。残る三つ—介入への応答、長期の一貫性、計画への利用—について、この振り子のネットワークで何を確かめればよいだろうか。


7. 脳の側の世界モデル

作る側を四節にわたって検討してきた。脳に戻ろう。

実物の候補は、第10章第7節で並べてある。迷路のラットに地図を要求した認知地図(Tolman 1948)、海馬の場所細胞(O’Keefe & Dostrovsky 1971)と嗅内皮質の格子細胞(Hafting et al. 2005)、そして運動の結果を予測する小脳の順モデル(Wolpert ら 1995、川人 1996)である。それらが一つの「世界モデル」なのかは分からない、という留保もそこで述べた。

ここでは繰り返さない。本節では、本章で立てた二つの問いを脳に向けて投げ返す。地図は何の地図なのか。そして脳はどの空間で予測しているのか。

地図は空間の地図ではない

場所細胞と格子細胞は、長く「空間の地図」として理解されてきた。だが近年、この見方は広げられている。

ヒトの fMRI で、鳥の首の長さと脚の長さという二つの軸が張る概念の空間を移動させる課題を行うと、嗅内皮質や腹内側前頭前皮質に六回対称の変調が現れる(Constantinescu, O’Reilly & Behrens 2016)。注意してほしい—fMRI で格子細胞そのものが見えているわけではない。 見えているのは、格子細胞があればこう出るはずだという間接的な痕跡である(第6章のコラムを思い出してほしい)。格子細胞の符号が、物理的な空間ではない空間に対して働いているように見える、ということである。

こうした知見を受けて、認知地図とは何なのかを問い直す議論が出てきた(Behrens ら 2018)。地図が写しているのは空間そのものではなく、関係の構造ではないか、という見立てである。

この定式化に、本書の道具がそのまま効く。 関係構造を保って写す—第12章第3節の準同型である。前節までの言葉で言えば、世界モデルが持っているのは世界の見た目ではなく、世界の関係の写しだということになる。

さらに踏み込んだモデルもある。海馬体の働きを、構造と内容を分けて持つ装置として定式化する提案である(Whittington ら 2020)。構造の側—「隣にある」「一つ進む」といった関係のきまり—は環境をまたいで共有され、内容の側—そこに何があるか—だけが環境ごとに入れ替わる。だから新しい部屋に入っても、関係のきまりを持ち越して素早く地図を作れる。

第13章を通った読者には、これが何と同じ形か見えるはずである。不変部分と可変部分の分離である。 第13章第10節で構成性として扱い、第18章第4節ではミリカンが表象一般の要件として述べることになる、あの構図がここに現れている。

脳はどの空間で予測しているのか

そして第4節の問いである。予測誤差をどの空間で測るのか—これを脳に問うと、どうなるか。

前章第1節の予測符号化を思い出してほしい。あの定式化が要求していたのは、各層が下の層の活動を予測することだった。いちばん下まで降りれば、感覚入力そのものの予測である。つまり予測符号化は、素性としては再構成の側に立っている。小脳の順モデルも同様で、予測されるのは感覚の結果である。

ただし、ここは丁寧に言わねばならない。予測符号化は階層的だから、上の層が予測しているのは下の層の活動であって、生の入力ではない。下の層の活動それ自体が学習された表現なのだから、中間の層に関しては「表現空間で予測している」とも読める。ピクセルに近いところで誤差を測っているのは、いちばん下の層についてだけである。

この違いが、第4節の落とし穴と関係する。 JEPA では符号化 f を学習で決めてよいので、予測の的そのものが動かせる。だから f\equiv 0 に潰れる余地があった。予測符号化では、いちばん下の層が感覚入力に釘付けされている。的が動かないので、的が潰れることはない。

ただし、底が固定されていれば安心というわけではない。 第14章の VAE を思い出してほしい。あれにも再構成項があり、的は入力に固定されている。それでも潜在変数が使われなくなることが起こる—後方崩壊(posterior collapse)と呼ばれる現象である。復号側が潜在に頼らずに入力を説明できてしまうと、符号化側は潜在を放り出すのが得になる。

つまり、区別すべきものが二つある。的が潰れることは、的を固定すれば防げる。だが途中の表現が実質使われなくなることは、それでは防げない。予測符号化について言えるのは前者までである—と読むのが正確だろう。

いっぽう第4節で見た JEPA の主張は、その逆だった。予測できないものは符号化の段階で捨ててしまえ、と。

では脳はどちらなのか。この問いに、いま答えはない。 そして厄介なのは、答えがないことよりも、どう測れば答えられるのかがはっきりしないことである。

考えてみてほしい。「脳が表現空間で予測している」という主張を確かめるには、その表現空間を我々の側で同定しなければならない。だが表現空間の同定は、まさに第11章から第13章で見たとおり、何を許すかを先に決めないと確定しない作業である。測りたい対象の定義が、測る道具の選択に依存している。

これは本書が繰り返してきた構造である。第12章で「距離を選ぶことは何を無視するかを選ぶことだ」と述べた。予測の空間を問うことは、脳が何を無視しているかを問うことであり、そのためには我々の側が何を無視するかを先に決めねばならない。

分かっていないこと

第10章で述べた三つの留保に、本節から二つを足しておきたい。

第一に、予測の空間を同定する方法がない。 いま述べたとおりである。脳活動から潜在表現を推定して「この空間で予測している」と言えたとしても、その推定は我々が選んだ計量に依存している。第12章第10節の留保—読み出せることは使われていることを意味しない—が、そのまま当てはまる。

第二に、後継者表象の位置づけが定まらない。 第10章で触れたとおり、場所細胞の予測的な性質は後継者表象として読める(Stachenfeld ら 2017)。だが後継者表象は方策に依存する—どう動くつもりかによって、表現そのものが変わる。世界のモデルというより、その方策のもとでの世界の見え方である。「世界のモデル」と呼ぶには、行動から独立であってほしい気がするだろうか。だが本章第1節の表を思い出してほしい。役に立つ分だけ持つという選択肢は、そこに正当な一項目として並んでいた。何を世界モデルと呼ぶかは、まだ決まっていないのである。


8. なぜ収束が期待できるのか ── 反変原理

収束を主張する仮説を見る前に、そもそもなぜ収束が期待できるのかという理屈を押さえておきたい。もっとも見通しのよい議論が、Cao と Yamins (2024) の反変原理(contravariance principle)である。哲学者と神経科学者の共著から出てきた考え方だ。

主張はひとことで言える。

易しい課題は解き方がいくらでもある。難しい課題は、解き方が絞られる。

例で考えよう。「一桁の足し算をせよ」なら、暗算でも、そろばんでも、電卓でもよい。実装は千差万別で、どれも正解する。課題が解を制約しない。

ところが「重い荷物を積んで何百キロも空を飛べ」となると、話が変わる。作れる仕組みはぐっと減る。どんな設計をしても、結局は空気力学の同じ制約に縛られる。だから飛行機もワシもトンボも、翼を持ち、流線型になる。

視覚も同じ構造をしている。「丸と四角を見分けよ」程度なら、どんな実装でも解ける。だが「雑然とした自然画像から、光の当たり方も向きも遮蔽も変わるなかで、瞬時に物体を見分けよ」となれば、解ける仕組みはそう多くない。

だとすれば—脳もこの難題を解いてきた。ネットワークもたまたま同じ難題を解いた。両者が同程度に難しい課題を同程度にうまく解いているなら、内部の仕組みは似た形に追い込まれる。似せたからではなく、課題が似た解を強制したからである。

生物学には格好の対応物がある。収束進化だ。サメは魚類、イルカは哺乳類で系統は遠く離れているのに、「速く泳ぐ」という同じ制約のもとで、そっくりな流線型に行き着いた。

この原理には、もう一つの役目がある。 第1章第2節で置いた 3M 基準—モデルの変数が機構の部品に、依存関係が因果に対応せよ—を思い出してほしい。深層ネットワークはこの基準に照らすと機構モデルとして失格だった。

Cao と Yamins はここを緩める。部品の一対一対応を要求する代わりに、課題が課す制約のもとで到達する解の族が一致していればよい、とする枠組みである(3M++ と呼ばれる)。ユニットとニューロンが対応しなくても、同じ難題に追い込まれた結果として同じ形に落ちているなら、それは説明の一種だ、という主張になる。

もっとも、緩めれば緩めるほど、代償がある。 条件を緩くしすぎれば、残るのは「よく当たる記述」だけで、機構の説明という看板を下ろすことになりかねない。どこまで緩めてよいかは決着していない(神谷 2026)。

「反変」とは何が反変なのか ── 三つ目の用法

ここで用語に注意を促しておきたい。「共変」ないし「反変」という語が出てくるのは、これで三度目である。そして三つとも別物だ(群作用の文脈では「共変」しか使わない)。

出てくる場所 何の話か 何が「共変/反変」なのか
第13章第4節 群作用 出力が入力と同じように動くか(f(g\cdot x)=g\cdot f(x)
第13章第5節 テンソル解析 基底変換 A に対し、成分が A で変わるか A^{-1} で変わるか
本節 課題と機構の対応 課題を難しくすると、許される機構の集合が縮む

本節の「反変」は、包含関係が逆転することを指している。課題の集合を大きく・厳しくしていくと、それを満たす機構の集合は小さくなる。一方が増えれば他方が減る—この向きの逆転が、数学のさまざまな場面で「反変」と呼ばれる関係と同じ形をしている。

用語が同じでも、指しているものが違う。これは第12章から繰り返してきた注意—言葉の一致を構造の一致と取り違えない—の、本書自身への適用でもある。

ここがポイント

反変原理は、「AIは脳のコピーだ」という発想をひっくり返す。脳とAIが似ているとしたら、それは互いを真似たからではなく、同じ手ごわい現実を相手にしたからだ、という説明である。

ただし、これは「なぜ似うるか」の説明であって、「実際に似ている」ことの証拠ではない。二つを混同してはいけない。

反変原理はどこまで検証できるか

教科書として、弱点も書いておく。

前件をどう測るのか。反変原理は「課題が十分に難しければ」という条件つきの主張である。では、課題の難しさをどう測るのか。尺度がなければ、収束が見られたときは「課題が難しかった」、見られなかったときは「まだ難しくなかった」と、どちらにも言えてしまう。

前章第7節で自由エネルギー原理に向けたのと、同じ形の弱点である。

そして「解が絞られる」の中身も要検討である。絞られるのは何の水準だろうか。入出力の振る舞いか、表現の幾何か、それとも回路の実装か。第1章第2節のマーの三水準で言えば、どの水準で収束すると言っているのか。反変原理はここを明示しない限り、検証可能な主張にならない。

Cao と Yamins 自身も、モデルが説明として成り立つ条件を精密にする作業を並行して進めている。「似ている」と言うために何を要求すべきか—その問いは、本章第10節で我々が四つの条件として整理するものと、地続きである。


9. 表現は収束するのか ── プラトンとアリストテレス

前節は「なぜ似うるか」の理屈だった。ここからは、実際に収束が起きていると主張する仮説と、その検証を見る。舞台はまず AI どうしの比較である。

プラトン表現仮説

Huh、Cheung、Wang、Isola (2024) の主張は、大胆である。

異なるニューラルネットワークの表現は、収束しつつある。

証拠として挙げられるのは、次のような観察である。

  • 異なるアーキテクチャ、異なる訓練データで学習したモデルどうしの表現が、時代を追って似てきている
  • モダリティを越えてさえ似てくる。画像モデルと言語モデルが、大きくなるにつれてデータ点間の距離を似た仕方で測るようになる

そして、この収束が向かう先をプラトン的表現(platonic representation)と呼ぶ。プラトンのイデア論になぞらえた命名である。異なるモデルは、それぞれ不完全な影を見ているが、その背後には共通の「実在の統計モデル」がある—という見立てだ。

なぜ収束するのか。説明は選択圧による。モデルが大きくなり、タスクが多様になるほど、すべてのタスクを同時に解ける表現の候補は狭まっていく。だから異なる出発点から始めても、同じところへ収束する。

魅力的な主張である。もし正しければ、脳とAIの表現が似ることにも説明がつく—どちらも同じ実在を捉えようとしているのだから。

アリストテレス的な反論

Gröger、Wen、Brbić (2026) は、この主張を検証し直した。そして根本的な問題を指摘する。

表現の類似度を測る既存の指標は、モデルの規模に交絡されている。

具体的には、モデルの深さや幅を増やすだけで、内容に関係なく類似度スコアが上がってしまう。「大きなモデルどうしは似ている」という結果が、単に大きいことの副産物かもしれない。

解決策は、順列に基づく零仮説の校正である。表現の対応関係だけをランダムに壊した零モデルを作り、そこからの逸脱として類似度を測り直す。統計的な保証を持つ校正済みスコアが得られる。

そして校正の結果は、明確だった。

  • 大域的なスペクトル的類似度(表現空間全体の構造の一致)は、校正後にはほとんど消える
  • 局所的な近傍関係の一致(どの点とどの点が近いか)は、モダリティを越えても有意に残る
  • ただし局所的な距離の一致は残らない。残るのは近傍の順序関係である

この結果から、Gröger らは対案を提出する。アリストテレス表現仮説である。

表現は、共有された局所的な近傍関係へ収束している。

プラトンが「個物を超えた普遍的な形相(イデア)」を措定したのに対し、アリストテレスは「形相は個物に内在する」と考えた。この命名は、対立の性格をうまく捉えている。大域的な普遍構造か、局所的な関係の束か。

これは測定の問題である

さて、ここで第12章を通った読者に問いたい。この対立の争点は、どこにあるのだろうか。

二つの陣営は、同じデータを見て違う結論を出している。違えているのは、事実の観察ではない。何をどう測るかである。

第12章第2節の枠組みを当ててみよう。

プラトン派が使っている指標は、どんな変換のもとで不変か。大域的なスペクトル的類似度(たとえばカーネル行列の一致)は、直交変換のもとで不変である。だがモデルの規模には依存してしまう—規模の変化は「許される変換」に含まれていないのに、スコアが動く。これは指標の設計として問題がある。

アリストテレス派の校正は、何をしたのか。順列零仮説による校正とは、「対応関係だけを壊す」という変換の群を明示的に定め、その群のもとでの分布を基準にする操作である。つまりアリストテレス派は、「何を許すか」を先に決めた。

第12章で我々は、こう述べた—「許される変換のもとで不変な主張だけが、意味を持つ」。そして第13章では、許される変換のあつまりが群をなすことを見た。

プラトンとアリストテレスの対立は、まさにこの問題である。「表現が収束している」という主張の意味は、どんな変換のもとで比べるかを決めない限り、確定しない。

ここがポイント

「脳とAIの表現は似ているか」という問いは、どんな変換のもとで比べるかを決めないと、答えが決まらない。プラトン派とアリストテレス派の対立は、事実の対立ではなく測定の対立である。第12章の測定論と第13章の対称性が、ここで効いてくる。

どちらが正しいのか

現時点で決着はついていない。だが、この論争から取り出せる教訓はある。

第一に、類似度指標には零仮説が要る。「相関が0.7だった」という数値だけでは何も言えない。何と比べて0.7なのか。ランダムな対応でも0.6が出るなら、0.7に意味はない。

第二に、局所と大域を区別すべきである。近傍関係が一致することと、空間全体の構造が一致することは、まったく違う主張である。前者だけなら「似た刺激を似ていると判断する」程度のことしか言っていない。

第三に、収束の説明としては、両者とも不十分かもしれない。局所近傍だけが一致するという事実は、「共通の実在を捉えている」よりも弱い説明でも足りる。たとえば、訓練データの統計的性質が共通なだけかもしれない—第9章の Direct Fit の議論を思い出してほしい。密なサンプリングの上での内挿であれば、データが同じなら似た内挿になるのは当然である。


10. 脳とAIの表現は一致するのか

前節は AI どうしの比較だった。そして第8節の反変原理は「なぜ似うるか」の説明にとどまる。ここでは「実際に似ているか」を、脳との比較として問う。

本書で積み上げた道具を、ここで総動員する。

何を比べてきたか

第11章で RSA を、第12章で測定の歪みを、第13章で「何を許すか」を得た。そして前節では、「収束している」と言うことの意味を精査した。

これらを一枚にまとめる。

何で測るべきか

これらを踏まえると、「脳とAIの表現が一致するか」を問うには、少なくとも次の四つを明示しなければならない。

第一に、測定装置の効果。脳側は fMRI や電極を通した観測である。その歪みを補正したうえで比べているか(第12章第9節)。

第二に、許される変換の群。直交変換まで許すのか、任意の可逆線形変換までか、あるいは順列だけか。群を決めなければ「一致」の意味が決まらない(第13章、第12章第2節)。

第三に、零仮説。その群のもとでランダムな対応がどれだけのスコアを出すか。それと比べてどうか(第9節)。

第四に、局所か大域か。近傍関係の一致なのか、空間全体の構造の一致なのか(第9節)。

この四つを明示しない「一致」の主張は、解釈が定まらない。これが本書の、この問いに対する立場である。

相関では弱い理由

よく使われるのは「RDM の相関」である。だがこれは上の四つのうち、どれも明示していない。

相関が高いことは何を意味するのか。刺激の大まかなカテゴリ構造が共有されていれば、それだけで相関は高く出る。顔と椅子と車が別々のクラスタを作っていれば、詳細が全然違っても RDM は似る。

だから「相関0.7」は出発点であって結論ではない。その0.7が、カテゴリ構造だけで説明できるのか、それ以上のものがあるのかを切り分ける必要がある。

対象の一致から、変換の保存へ

ここまでの測り方は、どれも刺激ごと刺激集合の形を見ていた。第4〜6章のエンコーディングとデコーディングは「この画像に対して、脳とモデルが似た応答を出すか」を問う。第11章の RSA は「刺激どうしの距離の並びが似ているか」を問う。前者は対象ごとの一致、後者は集合の幾何である。

だが、もう一段ある。

考えてみてほしい。二つの系が、同じ画像に似た符号を割り当てているとしよう。それでも、画像から画像へ「動く」やり方が食い違っていることはありうる。犬の写真から猫の写真へ移るとき、脳の中で起きる変化とモデルの中で起きる変化が、対応していない—そういう食い違いは、対象ごとの一致を見ているだけでは見えない。

問いを一段上げよう。二つの系は、同じ変換を保っているだろうか。

必要な数学:圏・関手・自然変換

「自然性」という言葉を使う前に、圏論の語彙を最小限だけ整えておきたい。必要なのは三つの言葉だけである。定理は使わない。

(category)。対象(object)の集まりと、対象から対象への(morphism, arrow)の集まりからなる。射は続けてつなげる(合成できる)ことができ、各対象には何もしない射(恒等射)がある。

圏の思想は一言で言える—対象の中身を見ず、射のつながりだけで語る。 集合なら要素を、ベクトル空間なら成分を覗きたくなるが、圏論はそれをやらない。第12章で「関係構造」を扱ったときの態度と同じである。

関手(functor)。圏から圏への対応で、対象を対象に、射を射に写し、合成と恒等射を保つもの。F(g \circ f) = F(g) \circ F(f) である。

この条件に見覚えがあるだろうか。構造を保つ写像—つまり準同型である(第12章第3節)。第13章第6節では群の準同型を見た。関手は、その考えを圏の水準まで持ち上げたものにあたる。本書で三度目の「構造を保つ写像」である。

自然変換(natural transformation)。ここが本題である。二つの関手 F, G が同じ圏のあいだにあるとしよう。自然変換とは、対象ごとに一本ずつ与えられた射の族 \eta_X : F(X) \to G(X) であって、次を満たすものである。

\eta_Y \circ F(f) \;=\; G(f) \circ \eta_X \qquad (\text{任意の射 } f: X \to Y)

これが可換四角形の条件である(第13章第4節)。四隅は F(X), F(Y), G(X), G(Y) で、二つの道すじが一致することを要求している。

なぜ「自然」と呼ぶのか。 言葉の由来を押さえると、この先の使い方が分かりやすくなる。

対象ごとに写像 \eta_X を勝手に選ぶだけなら、何の縛りもない。縛りは、射との整合から来る。 どの f についても四角形が可換であれ、という要求は、\eta を対象ごとにばらばらに選ぶことを許さない。すべての対象について一斉に、しかも射のつながりと辻褄が合うように選べている—そういう写像の族だけが自然変換になる。

数学では「自然」という語を、しばしば恣意的な選択に依らないという意味で使う。座標の取り方や基底の選び方を変えても言えることは自然であり、たまたまその表示で成り立つだけのことは自然でない。自然変換の「自然」もこれである。

歴史も短く書いておく。Eilenberg と Mac Lane が1945年に圏と関手を導入したのは、「自然な同型」という数学者が漠然と使っていた言い方に、正確な意味を与えるためだった。目的が自然変換のほうで、圏と関手はそのための道具立てとして用意された—順序が逆だったのである。

本節での対応を並べておく。

圏論の言葉 本節での中身
対象 刺激(画像)
r: s \to s' 刺激の変化(犬から猫へ、明るいから暗いへ)
関手 F_B 刺激とその変化を、脳の側の状態と変換へ写す割り当て
関手 F_M 同じものを、モデルの側へ写す割り当て
自然変換 \eta 脳の側からモデルの側への翻訳器(第15章第10節)

ただし、断っておかねばならない。 この節で紹介する仕事は、この定義を厳密に満たしているわけではない。F_B, F_M が関手であること—合成と恒等射を保つこと—を強制していないからである。可換四角形という「形」だけを借りて、そのずれを測るという使い方になる。だから以下では「自然性」を、満たされていれば嬉しい目標として読んでほしい。この点は本節の終わりでもう一度戻ってくる。

可換四角形として書く

この問いは、第13章第4節の道具でそのまま書ける。あそこで同変性を可換図式として見た—「動かしてから写す」と「写してから動かす」が一致すること。同じ四角形を、いま二つの系のあいだに張る。

写像の役を務めるのは、第15章第10節の翻訳器である。脳潜在から機械潜在への T(デコーダ)と、その逆向きの T'(エンコーダ)。刺激の変化 r が脳の側に引き起こす変換を F_B(r)、モデルの側に引き起こす変換を F_M(r) と書けば、要求はこうなる。

T \circ F_B(r) \;=\; F_M(r) \circ T

左辺は「脳の中で動かしてから翻訳する」、右辺は「翻訳してから機械の中で動かす」。二つの道すじが一致すれば、四角形は可換である。 前項の言葉で言えば—翻訳器が自然変換であることを要求しているのに他ならない。この性質を自然性(naturality)と呼ぶ。

ここがポイント

対象ごとの一致は T(b_s) \approx m_s を各刺激について要求する。自然性はそれに加えて、刺激のあいだの変化の構造が翻訳を通り抜けることを要求する。

前者を満たしても後者を満たさない系はありうる。だから別の問いである。

どの変換を試すのかは、外から与えねばならない

ここで一つ、避けられない問題が出る。r をどう決めるのか。

「犬から猫へ」の変化を脳とモデルの両方に同じものとして与えるには、両者の外側に変化を指定する場所が要る。この論文はそれを比較空間と呼び、世界モデルの代理として置く(第1節の表でいえば四行目に近い使い方である)。具体的には、言語に接地した意味を持つ埋め込み、自己教師あり学習で得た視覚的な埋め込み、ヒトの知覚的類似度を学んだ埋め込みの三つを使う。

そこでの一本の方向が、一つの変化に対応する—これは第18章第1節の線形表現仮説を作業仮定として使っていることになる。方向を「アニマシー」「実物の大きさ」「輝度」といった名前の付いた軸に絞れば、軸ごとに問いを立てられる。

強調しておきたい。比較空間の選び方は、邪魔者ではなく問いの一部である。 どの空間を選ぶかで、試せる変換の族が変わる。「脳とAIは似ているか」という問いは、どの変換について似ているかを指定しない限り、答えが決まらない—第12章と第18章第7節で繰り返してきた構図が、そのまま現れている。

ずれを測る ── 順列零仮説で割る

可換性のずれは、四角形の二つの道すじの差の大きさで測れる。だが生の残差では大小を判断できない。そこで順列零仮説で割る。脳側とモデル側の対応をランダムに壊した状態で同じ残差を計算し、それとの比を取るのである。

こうすると 1.0 が偶然の水準になり、0 が完全な可換性になる。この論文はこの量を自然性違反スコア(naturality violation score, NVS)と呼ぶ。

本節で挙げた四つの要件のうち、第三の「零仮説」がここで実装されていることに気づいてほしい。前章第9節でアリストテレス派が校正を持ち込んだのと同じ発想である。

合成実験が示すこと

この測り方の値打ちは、答えが分かっている場合で試すと見える。

五つの因子(位置 xy・大きさ・向き・色)で作った人工の世界を用意する。脳の側は五因子すべてを保つ。モデルの候補を四つ作る—全部保つもの、位置だけ保つもの、物体の属性だけ保つもの、構造を壊すもの。

さて、位置だけのモデルと物体だけのモデルを、既存の指標は区別できるだろうか。

できない。 エンコーディングの相関、デコーディングの相関、RSA、正準相関分析、プロクラステス—どれも「どちらも脳とよく揃っている」と答える。とくに正準相関分析は、全部保つモデルと位置だけのモデルと物体だけのモデルに、そろって 0.99 前後を返す。五因子が張る部分空間は、どの部分集合を残しても B の中で最大に相関するからである。

軸ごとの NVS はこれを分ける。位置だけのモデルは x, y の軸で 0.02、大きさ・向き・色の軸で 0.57。物体だけのモデルはちょうど逆になる。どの変換を保ち、どれを取り落としているかが、軸ごとに出る。

実データ ── 階層の交差とアニマシー

実験データにかけると何が出るか。ヒトの fMRI(5人、V1 から高次視覚野までの5領域)と3つの視覚 DNN(8層ずつ)を、3つの比較空間について総当たりで調べる。

まず出てくるのは階層の交差である。輝度や空間周波数といった低次の軸は、V1 に近い領域と浅い層でよく保たれる。アニマシーや実物の大きさといった意味の軸は、高次視覚野と深い層でよく保たれる。中間の軸(曲線性・テクスチャのエネルギー)はその間に来る。エンコーディングの精度で描かれてきた領野と層の対応が、軸ごとに分解された形で再現されたことになる。

そして本節にとって大事な結果がある。アニマシーの軸が、試した軸のなかで最もよく保たれていた。 5人をまとめた値が 0.39(偶然は 1.0)で、次に良い軸が 0.52、いちばん悪い軸は 0.72 である。5人全員でアニマシーが最低だった。領野の並びで見ると V1 から高次視覚野へ単調に下がり、三つの比較空間すべてでその順序が保たれている。

第11章第2節で植えた話が、ここで戻ってくる。 RDM を見たときに最初に目に入る割れ目がアニマシーだった。あれは「距離の並びの相関」という測り方で見えた軸である。いま、まったく別の測り方—二つの系が同じ変換を保つか—でも、同じ軸が最も強く出た。 測り方を変えても残るのだから、この軸は測定の副産物ではなさそうである。

ただし、意味の軸ならどれでも強いわけではない。 同じ枠組みで15軸まで広げると、「握れるか」「乗れるか」といったアフォーダンスの軸や、材質の軸は 0.73 前後で、アニマシーよりずっと悪い。高次であることは、よく保たれることの理由にならない。

もう一点、RSA との違いがはっきり出る場面がある。測定にセッションごとの加法的なずれを混ぜてみると、RSA の一致は 1.00 から 0.29 へ崩れるのに、NVS は 0.04 から 0.06 へしか動かない。差を取って測っているので、足し算のずれが消えるからである。第12章第9節で見た「測定装置は構造を歪める」という問題に対して、部分的な答えになっている。

この手法をどこまで信じるか

ここは慎重に書かねばならない。これは発展途上の方法であり、解釈は難しい。 少なくとも次の四つを断ったうえで読む必要がある。

第一に、厳密な意味での自然変換ではない。 前に見たとおり、自然変換は関手—合成と恒等射を保つ対応—のあいだに定義される。だがここで使っている F_B, F_M は、刺激の対ごとに独立に当てはめた線形写像であって、合成が保たれることを強制していない。 論文自身が「操作的な類比であって、厳密な関手性の主張ではない」と明記している。可換図式の言葉を借りているだけで、圏論の定理が使えるところまでは行っていない。

第二に、比較空間の選び方が結果を左右する。 これは先に「問いの一部だ」と述べたことの裏面である。ある軸について、ある比較空間が妥当な検査になっていないこともある(論文は軸ごとに妥当性の検査を通し、通らなかった組み合わせに印を付けている)。比較空間を変えれば、別の答えが出る。

第三に、規模が小さい。 5人・単一のデータセット・3つのネットワークである。しかも翻訳器は通常のエンコーディング/デコーディングとして当てはめたうえで、可換性はあとから評価している(可換性を目標に最適化してはいない)。この設計は解釈を素直にする代わりに、検出力を犠牲にしている。

第四に、何が言えたのかが直感に落ちにくい。 「アニマシーの NVS が 0.39」という数値は、順列零仮説に対する相対値である。絶対的な意味での「共有された表現」の証明ではない。 論文もそう書いている。

それでもこの方向を紹介するのは、問いの立て方が変わっているからである。「似ているか」を一つの数に潰すのをやめて、「どの変換について似ているか」を分解する。第12章から本書が言い続けてきた「何を保つかを先に決めよ」という要求に、正面から応じた設計になっている。

読者に問いたい。この枠組みで次に何を測るべきだろうか。論文は「世界の側の変換を実験で統御すること」を挙げている—つまり、刺激を系統的に変えながら脳を測る実験である。あなたなら、どんな変換を選ぶだろうか。

では何が言えるのか

悲観的に聞こえたかもしれないので、確認しておきたい。測定の困難があることは、比較が無意味だということではない。

第12章第9節の結果は、まさにその好例だった。「なぜ相関距離がうまくいくのか」を突き詰めた結果、経験則に理論的な根拠が与えられ、さらに改良版(平均除去のみのユークリッド距離)が提案できた。仮定を掘ることは、道具を改良する道である。

同じことが、脳とAIの比較にも言えるはずだ。「何を比べているのか」を精密にしていけば、いま「似ている」と言われていることの中身が分解され、本当に共有されている構造が見えてくる。それが本書が渡したかった道具立てである。

確認問題

  1. [確認]「世界モデル」という語が指しうる四つの立場を挙げ、それぞれが何を無視しているかを述べよ。(第1節・第4節)

  2. [導出]良い調節器定理の不等式 H(Z) \ge H(D) - H(R) を導け。途中で用いた仮定を明示せよ。(第2節)

  3. [確認]良い調節器定理が言う「モデル」と、自由エネルギー原理が言う「生成モデル」はどう違うか。前者が保証しないことを三つ挙げよ。(第2節・第16章第3節)

  4. [導出]世界モデルの時系列 ELBO を書き、その KL 項が予測符号化と同じ形をしていることを示せ。KL の外側にもう一段の期待値が要る理由も述べよ。(第3節・第16章第1節)

  5. [確認]表現空間で予測誤差を測る設計が表現の崩壊を招く理由を述べ、それを防ぐために使われている仕掛けを挙げよ。(第4節)

  6. [考える]「脳は表現空間で予測している」という主張を検証するには何が必要か。本文が述べる困難—測りたい対象の定義が測る道具に依存する—を踏まえて答えよ。(第7節・第4節)

  7. [考える]反変原理を反証するには何を測ればよいか。本文が指摘する弱点を踏まえて答えよ。(第8節・第16章第7節)

  8. [考える]プラトン派とアリストテレス派の対立が「測定の対立」であると本文で述べた。その意味を、第12章第2節の枠組みを使って説明せよ。(第9節・第12章第2節)

参考文献

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  • Schmidhuber, J. (1990) Making the world differentiable. Technical Report FKI-126-90, Technische Universität München — 世界モデルを「勾配を通すための微分可能な代理」と捉える見方[1節]。実装としての結実は第10章第7節の Ha & Schmidhuber (2018)
  • Ashby, W. R. (1956) An Introduction to Cybernetics; Conant, R. C. & Ashby, W. R. (1970) Every good regulator of a system must be a model of that system. Int J Syst Sci — 前者が必要多様性の法則の出どころ、後者が良い調節器定理の原典。準同型であること(同型ではないこと)の含意は後者で確認してほしい[2節]
  • LeCun, Y. (2022) A path towards autonomous machine intelligence, Version 0.9.2. OpenReview — JEPA の提案。表現空間で予測するという設計思想[4節]
  • Van Assel, H. et al. (2025) Joint embedding vs reconstruction: provable benefits of latent space prediction for self-supervised learning. arXiv:2505.12477 — 潜在空間で予測するほうが有利になる条件[4節]
  • Constantinescu, A. O., O’Reilly, J. X. & Behrens, T. E. J. (2016) Organizing conceptual knowledge in humans with a gridlike code. Science; Behrens, T. E. J. et al. (2018) What is a cognitive map? Neuron — 前者が概念空間での格子状の符号、後者が認知地図を関係構造の写しとして読み直す総説[7節]
  • Whittington, J. C. R. et al. (2020) The Tolman–Eichenbaum machine. Cell — 構造と内容を分けて持つモデル。第13章の不変部分と可変部分にあたる[7節]
  • Cao, R. & Yamins, D. (2024) Explanatory models in neuroscience, Part 1 & 2. Cogn Syst Res — 反変原理の出典。3M を緩めるという提案として読む[8節]
  • Huh, M. et al. (2024) The Platonic representation hypothesis — 収束を主張する側[9節]
  • Gröger, F., Wen, S. & Brbić, M. (2026) Revisiting the Platonic representation hypothesis: an Aristotelian view — 零仮説で校正し直す側[9節]
  • 神谷之康 (2026) 脳とAI は似ているか — NeuroAI の挑戦.『人工知能』41(2) — 3M++ とアラインメント研究の現状を一望する[8節・10節]。同じ著者の Kamitani, Y. (2026) Beyond object-level alignment: do brains and DNNs preserve the same transformations? arXiv:2605.06420 が第10節後半の出典で、アライメントを自然性(可換四角形)として問い直し、順列零仮説で正規化した NVS を定義する。発展途上の手法であることは論文自身が明記している[10節]