脳とAIをつなぐ数理
表現・学習・生成
はじめに
いまのAIを動かしているのは、深層ニューラルネットワークである。その名のとおり、もともとは脳に着想を得て生まれた。1943年の McCulloch と Pitts の形式ニューロン、Hebb の学習則、Rosenblatt のパーセプトロン、視覚野の階層を写した畳み込みネットワーク—出発点はいつも脳だった。
だが着想を得たあと、二つの分野は別々の進化を遂げた。AIの側は、生物学的な忠実さを手放すことで前に進んだ。誤差逆伝播も、正規化も、注意機構も、脳に対応物があるから採用されたのではない。動いたから採用された。一方で脳の理論研究は、実際の神経回路が何をしているのかを問い続けた。重なりを残しながらも、二つは別の言葉と別の基準で進んでいった。
ところが近年、両者はふたたび交わりつつある。
きっかけは、誰も設計しなかった一致が見つかったことだった。画像認識のために訓練した深層ネットワークの内部表現が、サルやヒトの視覚野の応答と似た構造を持つ。しかも層の深さと脳の階層が対応する。この一致は、電極記録でも fMRI でも、活動を予測するやり方でも表現の幾何を比べるやり方でも、繰り返し確かめられてきた。細部まで脳を真似たわけではないのに、似た表現が現れる—この種の一致はアライメント(alignment)と呼ばれ、いまでは視覚に限らず言語や運動でも報告されている。
この交点に生まれたのが、ニューロAI(NeuroAI)と呼ばれる領域である。
では、なぜ似るのか。似せていないのに似るのなら、理由は設計者の意図の外にあることになる。同じ課題を解いているからだろうか。同じ数学的な制約に縛られているからだろうか。それとも—我々が両者を同じ道具で記述しているから、そう見えるだけなのだろうか。
本書は、この問いに答えを出す本ではない。問いを精密にするための道具を渡す本である。
実際、脳の側とAIの側で同じ数学が繰り返し現れる。畳み込み。エネルギー関数。変分下界。ヤコビアン。群の作用。しかも同じ役割を果たす。本書は、その重なりを一つずつ確かめていく。そして最後に、重なりが何を意味するのかを問い直す。
本書は、神谷之康が京都大学で行ってきた講義の資料に基づく。2023年まで総合人間学部を兼担していた際の「脳情報学」および「脳情報学演習」がもとになっている。
講義の内容を土台にしつつ、そこでは扱えなかった現代の話題—表現幾何、深層学習の汎化理論、測定理論、対称性、生成モデル、自由エネルギー原理—を大幅に加えて再構成した。文章化・構造化には生成AI(Claude)を活用したが、内容の企画・判断・最終的な責任は著者にある。
本書はまだ執筆中のドラフトである。誤りや不正確な記述が残っている可能性がある。お気づきの点があればお知らせいただけるとありがたい。
本書が目指すもの
学部生・大学院生が、次のような現代の話題を自分で読み進められるようになるための、十分な下地をつくること。
- 神経集団の活動を「高次元空間の形」として測る表現幾何
- 深層ネットワークがなぜ汎化するのかをめぐる理論(二重降下、ニューラル・タンジェント・カーネル、direct fit)
- 対称性と群論から見た等変ネットワーク、そして共変と反変
- ボルツマンマシンから変分推論・自由エネルギー原理へ至る系譜
- VAE・GAN・正規化フロー・拡散モデルの数理
- そして「表現を測る」という営みそのものを問う測定理論
これらは互いに無関係な話題に見えるかもしれない。本書を読み終えたとき、そう見えなくなっていることが目標である。
三つの方針
行間を空けない。式変形の途中を飛ばさない。「明らかに」で済まさない。新しい数学が必要になったら、その場で導入する。測度論も関数解析も多様体論も前提にしない。必要なのは、大学1〜2年で習う線形代数と微積分、そして確率の初歩だけである。
脳とAIを混ぜる。章を「脳の章」と「AIの章」に分けない。ひとつの数学的な道具が両方の場所で同じ働きをすることを、その場で並べて示す。畳み込みは第4章で単純細胞の受容野として現れ、第8章で畳み込み層として再登場し、第13章で「平行移動同変性から必然的に導かれるもの」として正体を明かす—という具合に。
一本の道筋で通す。本書には筋がある。第7章でホップフィールドのエネルギー関数から出発し、ボルツマンマシン、ヘルムホルツマシン、変分推論を経て、第16章の自由エネルギー原理へ登る。その途中で生成モデルの現代形に降りていき、第17章で「脳はなぜ世界に似るのか」を問い、最後に「表現とは何か、それを測るとはどういうことか」という問いに着地する。
読み方
通読する場合は第1章から順に。部をまたぐ回収(前の章で伏せた話が後の章で正体を明かす仕掛け)が随所にあるので、順に読むのがいちばん報われる。
特定の話題だけ知りたい場合は、次を入口にしてほしい。
- 表現幾何・RSA → 第11章(第6章のデコーディングを先に読むと楽)
- 深層学習の汎化理論 → 第9章
- 対称性・等変ネットワーク → 第13章(第12章の「許される変換」を先に読むと理解が早い)
- 拡散モデル → 第15章(第5章の変数変換の節が前提)
- 自由エネルギー原理 → 第16章(第14章の変分下界が前提)
- 世界モデル → 第17章(第10章第7節を先に読むと楽)
- 表現とは何か → 第18章(第12章の測定論が前提)
- 測定理論 → 第12章(独立に読める)
数学が不安な場合でも、身構えなくてよい。本書は数学を前もって積み上げる構成を取らない。必要な道具は、使う直前に「必要な数学:〜」という節で導入する。前提として要求するのは、高校程度の微積分と、行列の掛け算がわかること—それくらいである。記号に迷ったら、第1章第4節の記法の約束に戻ってほしい。
コラムは本文の流れから独立している。脳の解剖や生理の背景を扱っているので、読まなくても数学は追えるが、読むと「その式が何の話なのか」が見えるようになる。
記法について
本書で使う記号の約束は、第1章第4節にまとめてある。ベクトルと行列の書き分け、添字の上下(共変と反変)、確率の記法、神経応答の記号(s、\mathbf{r}、f、J)である。記号に迷ったら、そこへ戻ってほしい。
謝辞
本書のもとになったのは、京都大学での講義「脳情報学」および「脳情報学演習」である。受講してくれた学生の皆さんに感謝したい。講義中の質問や、演習でつまずいた箇所が、どこに説明が足りていないかを教えてくれた。本書で「ここは丁寧に書こう」と判断した箇所の多くは、教室でのそうしたやりとりから来ている。
演習の TA を務めてくれた、神谷研究室の歴代の大学院生にも感謝する。彼ら・彼女らは課題の Jupyter Notebook を作ってくれたが、その完成度は講義資料を上回るもので、学生からも非常に好評だった。本書の「手を動かす」の囲みは、その延長線上にある。
ライセンス
本書は CC BY-NC-ND 4.0 で公開している。