12  測定の理論 ── 何を実数に写してよいのか

前章の終わりで、我々の足元は崩れた。

RDM を作り、その相関を取って「脳とネットワークの表現は似ている」と言う。表現次元を数えて「この層は5次元だ」と言う。だが我々は、距離を測ってよいのかを一度も確かめていない。相関距離は三角不等式を満たさないのに使っている。fMRI のボクセルと DNN のユニットという、まったく違う測り方から出た数を、同じ土俵に載せている。

こうした不安は、扱い方を知らなければ「まあ大丈夫だろう」で押し流される。だが実は、この種の問いを百年かけて整理してきた分野がある。測定理論(measurement theory)である。心理学から生まれ、数学者と心理学者が共同で作り上げた。長さや重さのように「明らかに測れる」もの以外を、どうすれば正当に数へ写せるのか—それがこの分野の問いだった。

本章はその道具を借りる。目標は、前章で計算した量に対して次のように言えるようになることである。「この数を計算するとき、我々は何を仮定していたのか。」

ヒント本章のガイド

第1〜2節が問題設定、第3〜5節が理論の骨組み、第6〜7節が実例、第8〜11節が本書への適用である。

第4節(表現定理と一意性定理)が本章の心臓部だが、そこだけ読んでも意味が取りにくい。第2節(尺度水準)で「何が問題なのか」を掴んでから進んでほしい。

第6節(色の測定)では、混色という日常的な現象を公理として書き下すと、色の空間が3次元線形空間になることが証明できる。本章の主題がもっとも具体的な形で見える箇所である。

そして第9節で、前章第2節の宿題—なぜ相関距離がうまくいくのか—に答えが出る。

必要な数学は第3節にまとめた。二項関係と順序の話だけなので、詰まったらそこへ戻ってほしい。


1. 測定という問いの立て方

机の上に鉛筆が二本ある。どちらが長いかは見れば分かる。定規を当てれば「12.3 cm」と「9.8 cm」という数が得られる。この操作の、どこが自明でないのだろうか。

自明でない点を三つ挙げる。

第一に、なぜ数を割り当ててよいのか。鉛筆は物であって数ではない。数を割り当てるという行為は、対象の世界と数の世界のあいだに対応をつける行為である。その対応が「正しい」とはどういうことか。

第二に、割り当てた数で何をしてよいのか。12.3 と 9.8 を足して 22.1 という数を作ると、それは「二本を継ぎ足した長さ」に対応する。だから足し算には意味がある。では掛けたらどうか。12.3 \times 9.8 に対応する物理的な何かはあるだろうか(面積ではない—鉛筆は直線である)。ないなら、掛け算には意味がない。

第三に、割り当て方は一通りなのか。インチで測れば 4.84 と 3.86 になる。数は変わったが「どちらが長いか」も「継ぎ足したらどうなるか」も変わらない。つまり割り当て方には自由度がある。その自由度はどれだけあるのか。

この三つが、測定理論の三つの問いである。順に、表現の問題意味の問題一意性の問題と呼ばれる。

心理学がこの問いに直面した理由

長さや重さなら、以上は哲学的な余興に見えるかもしれない。ところが心理学では、これが死活問題になった。

「明るさ」を測りたい。「痛み」を測りたい。「知能」を測りたい。定規に相当するものがない。二つの光のどちらが明るいかは観察者に判断させられる。だが「この光は、あの光の2倍明るい」に意味はあるのか。二つの痛みを「継ぎ足す」ことはできるのか。

1930年代、イギリス学術協会は「感覚は測定可能か」を検討する委員会を作った。物理学者たちの結論は否定的だった—感覚には物理量のような加法性がないから、測定とは呼べない、と。

これに応えたのが Stevens (1946) である。彼は測定の定義そのものを広げた。測定とは「規則に従って対象に数を割り当てること」である。そして規則の厳しさに応じて、測定にはいくつかの水準がある—という整理を提案した。次節で見る尺度水準である。

ノートこの章の位置づけについて

測定理論は、それ自体が一つの分野であり、Krantz・Luce・Suppes・Tversky による Foundations of Measurement は三巻・千数百ページに及ぶ。本章はそのごく入口だけを扱う。

目的は測定理論の習得ではなく、前章で計算した量を点検する目を持つことである。だから公理系は代表的なものを一つ二つ示すにとどめ、証明は筋だけを追う。


2. 尺度水準と許される変換

Stevens の整理はこうである。測定には四つの水準があり、水準ごとに許される変換が違う。

水準 保存する構造 許される変換 \phi \mapsto \phi'
名義(nominal) 同一性のみ 任意の1対1写像 背番号、カテゴリ番号
順序(ordinal) 大小関係 任意の単調増加関数 硬度、震度、順位
間隔(interval) 差の比 \phi' = a\phi + ba>0 摂氏温度、暦年
比率(ratio) \phi' = a\phia>0 長さ、質量、絶対温度

下に行くほど許される変換が狭く、つまり数の含む情報が多い

この四つで尽きるわけではない。よく使われるのにこの表から漏れているものに、対数間隔尺度(log-interval scale)がある。許される変換が

\phi' = a\,\phi^{\,b} \qquad (a>0,\; b>0)

というべき変換である尺度で、対数を取ると間隔尺度になるのでこの名がある。注目してほしいのは、比率尺度だと思われている物理量の多くが、実は対数間隔尺度だという点である。Krantz らは密度をその例に挙げている。本章末のコラムで見る Stevens のべき法則も、この形をしている。

「許される変換」が意味を決める

この表の使い方は次のとおりである。ある操作に意味があるのは、許される変換のもとでその操作の結論が変わらないときに限る。

例で見よう。摂氏温度は間隔尺度である。今日は 20^\circC、昨日は 10^\circC だった。「今日は昨日の2倍暑い」と言えるだろうか。

華氏に変換してみる。F = 1.8C + 32 だから、20^\circC は 68^\circF、10^\circC は 50^\circF である。比は 68/50 = 1.36 であって、2 ではない。許される変換で結論が変わってしまった。だからこの主張は意味をなさない。

一方、「今日と昨日の差は、昨日と一昨日の差の2倍だ」という主張はどうか。差の比は a\phi+b という変換で不変である(b は差で消え、a は比で消える)。だからこの主張には意味がある。

比率尺度なら、比にも意味がある。a\phi という変換では比 \phi_1/\phi_2 が変わらないからだ。長さや質量が比率尺度である—「2倍の長さ」には意味がある。0 が任意に選べない(絶対原点がある)ことが、比率尺度の特徴である。

平均を取ってよいのはどの尺度か

もう少し実務に近い例を挙げよう。順序尺度のデータで平均を取ってよいか。

アンケートで「5. 非常に満足/4. 満足/3. 普通/2. 不満/1. 非常に不満」と答えてもらった。この1〜5を平均して「平均満足度 3.4」と言う—よく見る光景である。

だが順序尺度で許される変換は「任意の単調増加関数」だった。1,2,3,4,51,2,3,4,100 に置き換えても、順序は保たれるから同じ測定である。そして平均は激変する。許される変換で結論が変わるのだから、順序尺度の平均には意味がない。

これは形式的な難癖ではない。心理学では実際に長く論争になった。実務的には「平均を取っても大きく間違えないことが多い」という経験則で押し切ることも多いが、押し切っているという自覚があるかどうかが分かれ目である。

ここがポイント

「許される変換のもとで不変な主張だけが、意味を持つ」—これが尺度水準の考え方の核である。逆に言えば、ある量に対してどんな操作が許されるかは、その量がどんな変換のもとで同じ測定と見なされるかで決まる。

変換の集まりは群である

いま「許される変換のあつまり」という言い方をした。この「あつまり」には構造がある。

  • 何もしない変換(恒等写像)は許される
  • 許される変換を二つ続けても、やはり許される変換である
  • 許される変換には逆変換があり、それも許される

比率尺度なら、\phi \mapsto a\phi という変換の集まりを考えればよい。a_1 倍してから a_2 倍すれば a_1a_2 倍、a=1 が恒等、1/a 倍が逆—たしかに上の三つを満たしている。

この三つの性質を持つ集まりを、数学では群と呼ぶ。

第13章では群を正面から扱う。そのとき「なぜ急に群論が始まったのか」と思わずに済むよう、ここで種を蒔いておきたい。尺度水準とは、許される変換の群がどれだけ小さいかで測定を分類したものだった。群が小さいほど、数に含まれる情報が多い。


3. 必要な数学:関係構造と準同型

前節の議論を厳密にするには、「対象の世界」と「数の世界」をきちんと定義する必要がある。

関係構造

関係構造(relational structure)とは、集合と、その上の関係や演算をひとまとめにしたものである。記号では

\mathcal{A} = \langle A, R_1, R_2, \dots, \circ_1, \circ_2, \dots \rangle

と書く。A が対象の集合、R_i が関係、\circ_j が演算である。

経験的関係構造の例を挙げよう。棒の集合 A を考える。

  • a \succsim b … 「棒 a は棒 b 以上に長い」(天秤のように並べて比べれば判定できる)
  • a \circ b … 「棒 a と棒 b を一直線に継ぎ足したもの」

すると \mathcal{A} = \langle A, \succsim, \circ \rangle が一つの関係構造になる。ここで大事なのは、\succsim\circ も、数を使わずに定義されていることである。並べて比べる、継ぎ足す—どちらも物理的な操作にすぎない。

数的関係構造のほうは簡単である。

\mathcal{R} = \langle \mathbb{R}, \ge, + \rangle

実数の集合と、その上の大小関係と足し算。

準同型

二つの関係構造のあいだの写像で、構造を保つものを準同型(homomorphism)と呼ぶ。上の例なら、写像 \phi: A \to \mathbb{R} が準同型であるとは、

\begin{aligned} a \succsim b &\iff \phi(a) \ge \phi(b) &&\textsf{(順序を保つ)}\\ \phi(a \circ b) &= \phi(a) + \phi(b) &&\textsf{(演算を保つ)} \end{aligned}

の二つが成り立つことである。

この \phi こそが測定である。「棒に長さという数を割り当てる」とは、経験的関係構造から数的関係構造への準同型を一つ与えることに他ならない。

読み方を確認しておこう。第一の条件は「a のほうが長いなら、a に割り当てた数のほうが大きい」。第二の条件は「継ぎ足したものの数は、それぞれの数の和」。当たり前のことを言っているようだが、この当たり前が成り立つ保証はどこにもないというのが次節の主題である。

ノート準同型という言葉について

「構造を保つ写像」という発想は、数学のあちこちに顔を出す。群の準同型 f(a * b) = f(a) * f(b)、環の準同型、線形写像 f(\alpha x + \beta y) = \alpha f(x) + \beta f(y)—どれも「演算をしてから写す」と「写してから演算する」が一致する、という同じ形をしている。

第13章第6節で群準同型を扱うとき、この節に戻ってきてほしい。測定と対称性は、まったく別の話題に見えて、同じ発想の上に立っている。


4. 表現定理と一意性定理

測定理論の二本柱である。

二つの定理が問うこと

表現定理(representation theorem)が答えるのは、次の問いである。

経験的関係構造 \mathcal{A} がどんな条件を満たせば、数的関係構造 \mathcal{R} への準同型 \phi が存在するか。

つまり「測定できるための条件は何か」。条件を公理の形で書き下し、その公理から準同型の存在を証明する—これが表現定理の仕事である。

一意性定理(uniqueness theorem)が答えるのは、こちらである。

その準同型 \phi は、どこまで一意に決まるか。

第1節の第三の問い(インチで測っても同じ測定か)に対応する。そしてここが要点なのだが—一意性の程度が、そのまま尺度水準を与える。

  • \phi が定数倍を除いて一意(\phi' = a\phi のみ許される)なら、比率尺度
  • 正のアフィン変換を除いて一意(\phi' = a\phi + b)なら、間隔尺度
  • 単調増加変換を除いて一意なら、順序尺度

第2節では尺度水準を天下り的に四つ並べたが、いまや定理として導かれるものになった。「これは比率尺度である」という主張は、証明できる主張なのである。

ここがポイント

表現定理は「測れるか」に答え、一意性定理は「どんな尺度か」に答える。尺度水準は分類ではなく、証明の帰結である。

外延的測定の公理

具体例として、いちばん基本的な外延的測定(extensive measurement)の公理系を見よう。前節の棒の例である。\mathcal{A} = \langle A, \succsim, \circ \rangle が次の四つを満たすとき、閉じた外延的構造と呼ぶ(Krantz ら 1971, 定義 3.1)。

  1. 弱順序\succsim は推移的(a\succsim b かつ b \succsim c なら a \succsim c)かつ連結(任意の a,b について a \succsim b または b \succsim a
  2. 弱結合律a \circ (b \circ c) \sim (a \circ b) \circ c\sim は「同程度」の意味)
  3. 単調性a \succsim b \iff a \circ c \succsim b \circ c \iff c \circ a \succsim c \circ b
  4. アルキメデス性a \succ b なら、任意の c, d に対して na \circ c \succsim nb \circ d となる正の整数 n が存在する

さらに次を満たすときの構造という。

  1. 正値性a \circ b \succ a

これらはすべて数を使わずに書かれていることに注意してほしい。棒を並べて比べる、継ぎ足す—それだけで確認できる条件ばかりである。

二点、注意を促しておきたい。

単調性が両側に書いてあるのはなぜか。\circ に可換性(a \circ b \sim b \circ a)を仮定していないからである。継ぎ足す順序が効く可能性を残したまま議論している。そして面白いことに、可換性は仮定しなくても、他の公理から従う。

アルキメデス性が思ったより込み入っているのはなぜか。素朴に書けば「a を何回も継ぎ足せばいつか b を超える」(na \succsim b となる n がある)で済みそうに見える。ところが、これでは足りない。Krantz らは、公理1〜3と正値性にこの素朴な形を加えても加法表現は導けず、可解性のような別の条件を補わねばならないことを指摘している。上の第4公理は「差についてのアルキメデス性」であって、素朴な形より強い。公理系の細部は、思っているより繊細である。

証明の筋

\mathcal{A} が閉じた外延的構造であることと\phi(a \circ b) = \phi(a) + \phi(b) かつ a \succsim b \iff \phi(a) \ge \phi(b) を満たす \phi が存在することは、同値である。しかも \phi は正の定数倍を除いて一意である。つまり長さは比率尺度であるというのが、外延的測定の表現定理と一意性定理である。

「同値」であることが効いてくる。公理は加法表現の十分条件であるだけでなく、必要条件でもある。だから公理が破れるデータが得られたら、「この対象に加法表現はない」と結論してよい。公理系は、検証も反証もできる経験的法則の一覧なのである—Krantz らが繰り返し強調する点である。

証明の骨格だけ追っておこう。定規を作る手続きだと思えばよい。

第一歩。基準となる棒 u を一本選び、\phi(u) = 1 と決める。これが単位である。

第二歩。un 回継ぎ足したものを nu = u \circ u \circ \cdots \circ u と書く。公理2(結合律)があるので、この書き方に曖昧さはない。当然 \phi(nu) = n とすべきである。

第三歩。測りたい棒 an 本つないだ na を用意し、それを超える単位の本数を探す。すなわち

m_n u \succ na \succsim (m_n - 1)\,u

となる最小の整数 m_n を取る。アルキメデス性が、そんな m_n が必ず存在することを保証している。これがなければ手続きは止まらない—「いくら継ぎ足しても超えられない棒」があってはいけない、というのがこの公理の意味である。

第四歩。m_n 本の単位が、およそ n 本の a に釣り合っている。だから a 一本ぶんはおよそ m_n / n 単位である。n を大きくするほど、この近似は細かくなる。

第五歩。その極限として

\phi(a) = \lim_{n\to\infty} \frac{m_n}{n}

と定義する。残りの仕事は、この極限が存在することと、順序と加法を保つことを示すことである。公理1〜3がそこで効く。形式的な証明は、順序群についてのヘルダーの定理に帰着させるのが標準的である。

一意性のほう。別の準同型 \psi があったとする。\psi(u) = a_0 と置けば、上の手続きは \psi に対しても同じように進み、すべての段階で \psi = a_0 \phi となる。つまり単位の選び方の自由度しかない。これが比率尺度であることの証明である。

ヒント手を動かす

上の五段階を、公理を一つずつ外しながら追ってみてほしい。

  • 公理5(アルキメデス性)を外すと、第三歩で何が起きるか
  • 公理3(単調性)を外すと、第四歩の「精度を上げる」がなぜ機能しなくなるか
  • 公理1の連結性を外す(比べられない対象のペアを許す)と、そもそも何が言えなくなるか

公理の一つ一つが、証明のどこで効いているかが見えると、この手の定理は急に身近になる。公理とは天下りの制約ではなく、証明を通すために必要な最小限の要求である。


5. 加法的結合測定

外延的測定はうまくいった。だがこれは継ぎ足せる量の話である。棒は継ぎ足せる。重りは天秤に一緒に載せられる。

継ぎ足せない量はどうするのか。

明るさを二つ「足す」ことはできない。満足度を二人分足すことに意味はない。心理学が扱いたい量の多くは、外延的測定の公理系に乗らない。第1節で見た「感覚は測定可能か」という論争の核心はここにあった。

Luce と Tukey (1964) の同時結合測定(simultaneous conjoint measurement)は、この壁を越えた。発想の転換が見事なので、丁寧に追いたい。

発想 ── 二つの要因の組み合わせを見る

対象が二つの要因の組み合わせで決まる状況を考える。A 因子と P 因子があり、その組 (a, p) \in A \times P に対して「効果」の大小関係 \succsim が観察できるとする。

例を挙げよう。A を光の強度、P を提示時間とし、(a,p) を「強度 a の光を時間 p だけ提示したときの見えの明るさ」とする。二つの条件を比べてどちらが明るく見えるかは、被験者に答えさせられる。だが「明るさ」そのものを数として取り出す方法はまだない。

このとき、次のような表現が得られないだろうか。

(a, p) \succsim (b, q) \iff \phi_A(a) + \phi_P(p) \ge \phi_A(b) + \phi_P(q)

つまり—それぞれの因子に数を割り当てて、その和で順序が説明できるか。これが加法的結合測定の問いである。

注目すべきは、足し算が観察の側にはどこにも現れていないことだ。我々が観察できるのは組み合わせの順序 \succsim だけである。にもかかわらず、その順序の構造を調べるだけで、加法的な表現の存在が保証されるなら、それは驚くべきことである。

二重キャンセレーション条件

そのための鍵となる考え方が二重キャンセレーション(double cancellation)である。書き下すとこうなる。

(a, q) \succsim (b, r) \;\text{ かつ }\; (b, p) \succsim (c, q) \quad\Longrightarrow\quad (a, p) \succsim (c, r)

なぜこれが「加法性の観察可能な影」なのか、確かめてみよう。もし加法表現が存在するなら、仮定の二つは

\phi_A(a) + \phi_P(q) \ge \phi_A(b) + \phi_P(r), \qquad \phi_A(b) + \phi_P(p) \ge \phi_A(c) + \phi_P(q)

である。両辺をそれぞれ足す。

\phi_A(a) + \phi_P(q) + \phi_A(b) + \phi_P(p) \ge \phi_A(b) + \phi_P(r) + \phi_A(c) + \phi_P(q)

両辺に共通して現れる \phi_A(b)\phi_P(q) が消える—これが「キャンセレーション」の名の由来である。残るのは

\phi_A(a) + \phi_P(p) \ge \phi_A(c) + \phi_P(r)

すなわち (a,p) \succsim (c,r)。結論が出た。

この計算は、差の形に書き直すと意味が見えてくる。仮定の二つは、それぞれ次と同じことである。

\phi_A(a) - \phi_A(b) \;\ge\; \phi_P(r) - \phi_P(q), \qquad \phi_A(b) - \phi_A(c) \;\ge\; \phi_P(q) - \phi_P(p)

前者は「強度を b から a へ上げる効き目は、時間を q から r へ延ばす効き目以上である」と読める。後者は「強度を c から b へ上げる効き目は、時間を p から q へ延ばす効き目以上である」。そして結論は、この二つを継ぎ足したものについての主張—「強度 c から a までの効き目は、時間 p から r までの効き目以上である」—になっている。

キャンセルされた \phi_A(b)\phi_P(q) は、継ぎ足しの継ぎ目である。物差しを二本つなげば、つなぎ目の目盛りは全長に影響しない。二重キャンセレーションが要求しているのは、この当たり前のことだけである。

本節の出発点は「継ぎ足せない量をどうするか」だった。加法的結合測定の答えは、継ぎ足す操作を諦めるのではなく、もう一方の因子を刻み尺として使って継ぎ足すことにある。強度の区間を時間の区間で測り、時間の区間を強度の区間で測る。二つの因子が互いの物差しになる。天秤に重りを一緒に載せるという物理操作の代わりを、順序の観察が果たしている。

つまり加法表現があれば二重キャンセレーションは必ず成り立つ。Luce と Tukey が示したのは、その逆に近いことである。

公理系の全体を挙げておく。\langle A, P, \succsim\rangle加法的結合構造であるとは、次の六つを満たすことをいう(Krantz ら 1971, 定義 6.7)。

  1. 弱順序
  2. 独立性 — 一方の成分を固定したときの順序が、固定した値によらない
  3. トムセン条件 — 二重キャンセレーションの \succsim\sim に置き換えた形(区間の等しさを継ぎ足しても等しい、という要求)
  4. 制限つき可解性 — 求める要素が「範囲内なら」存在する
  5. アルキメデス性 — 有界な標準系列は有限である
  6. 各成分が本質的 — どちらの成分も、単独で順序を変えうる

このとき \phi_A(a) + \phi_P(p) の形の表現が存在する。

公理2と3の関係が面白い。独立性を落とす代わりに、トムセン条件を強い二重キャンセレーションに取り替え、可解性を「制限つき」から「無制限」に強めても、同じ結論が出る。ただし Krantz らは無制限可解性は経験的に受け入れがたい場合が多いと注意している—「どんな値でも実現する刺激が必ず用意できる」は、実験では成り立たないからだ。同じ定理へ至る道が複数あり、どの道を選ぶかは数学ではなく実験の都合で決まる。

一意性の形も、正確に書いておきたい。\phi_A, \phi_P

\phi_A' = \alpha\,\phi_A + \beta_A, \qquad \phi_P' = \alpha\,\phi_P + \beta_P \qquad (\alpha > 0)

を除いて一意である。定数倍 \alpha は両者に共通で、平行移動 \beta は成分ごとに別々という点に注意してほしい。つまり二つの成分は「共通の単位」を持つ間隔尺度になる。\alpha が共通でなければ和に意味がなくなるから、これは当然といえば当然である。

独立性だけでは足りない

いま見たように、二重キャンセレーションは独立性より強い条件である。逆向き(独立性が成り立てば二重キャンセレーションも成り立つ)は言えない。ここを見誤ると、この条件が何のために置かれているのかが見えなくなる。数値例で確かめよう。

行を光の強度 a \succ b \succ c、列を提示時間 r \succ q \succ pp が最短)とする。表の中身は、見えの明るさの順序だけを表す便宜的な数値である。

p = 10 ms q = 30 ms r = 300 ms
a(強い光) 10 20 30
b(中) 8 12 18
c(弱い光) 2 7 15

独立性は完全に成り立っている。どの列を見ても行の順序は a \succ b \succ c であり、どの行を見ても列の順序は r \succ q \succ p である。例外はひとつもない。「光が強いほど明るく、長く提示するほど明るい」がきれいに揃ったデータである。

ところが二重キャンセレーションは破れる。

  • 前提1 (a,q) \succsim (b,r)20 > 18 なので成立
  • 前提2 (b,p) \succsim (c,q)8 > 7 なので成立
  • ところが結論 (a,p) \succsim (c,r)10 < 15不成立

何が起きているのか。弱い光は時間を延ばすと大きく稼ぐ(7 \to 15 と倍以上になる)のに、強い光は早々に飽和して時間があまり効かない(20 \to 30)。強度と時間の「交換レート」が、表の場所によって食い違っている。先の言い方をすれば、二つの因子が互いの物差しになれていない。刻み尺の目盛り幅が場所によって伸び縮みしているのだから、区間を継ぎ足す計算が合わなくなるのは当然である。

心理物理の実体としても、これは珍しい病理ではない。閾値の近くでは強度と提示時間の積が効く(時間積分が働く)が、高強度側ではその関係が成り立たなくなる。表がその二つの領域をまたいでいれば、加法表現は存在しない。

ここがポイント

加法的結合測定の意義は、「足せない量」を、順序の観察だけから間隔尺度として測れるという点にある。二重キャンセレーションは、直接は見えない加法性が、観察可能な順序関係に落とす「影」である。

そして重要なのは、これが検証可能な主張だという点である。二重キャンセレーションが破れるデータが得られれば、「この現象に加法表現はない」と結論できる。測定の可否が、経験的に反証可能な問いになった—これが Luce と Tukey の達成である。

しかも、順序尺度の水準で反証できる。先の違反は 10 < 15 という大小関係として書かれていた。だから値に対数を取っても、平方根を取っても、どんな単調増加変換をかけても、この違反は消えない。第2節の言葉でいえば、二重キャンセレーションの成否は、順序尺度で許される変換群の全体を通じて不変である。

この点は実験データの扱いに直接響く。分散分析の交互作用項は、目盛りを取り替えるだけで消えたり現れたりする。対数変換をかけたら交互作用が消えた、というのはよくある話で、そのとき我々が見ていたのは要因の相互作用ではなく尺度の選び方だった、ということになる。「交互作用がある」という主張は、それだけでは尺度の主張と分離できていない。

二重キャンセレーションは、目盛りの取り替えでは決して消えない非加法性だけを拾う。本物の相互作用と、尺度を間違えているだけの見かけの相互作用を、順序の観察だけで切り分ける道具だと言ってよい。


6. 実例その一:色は3次元の線形空間になる

本章でもっとも鮮やかな結果へ進もう。

前節までは抽象的な話だった。ここでは、日常的な現象を公理として書き下すと、線形代数が出てくるという具体例を見る。題材は色である。

混色という現象

二つの光を重ねると、別の色に見える。赤と緑を重ねると黄色になる。この「重ねる」という操作を \oplus と書き、「同じ色に見える」という関係を \sim と書こう。

ここで注意してほしいのは、\sim が物理的な同一性ではないことだ。スペクトルがまったく違う二つの光が、同じ色に見えることがある(条件等色、メタメリズム)。\sim は観察者の判断であり、心理的な関係である。

19世紀に Grassmann がまとめた、混色の経験則がある。

  1. 推移性a \sim b かつ b \sim c なら a \sim c
  2. 加法性 — 任意の c について、a \sim b であることと a \oplus c \sim b \oplus c であることが同値
  3. スカラー性a \sim b なら、任意の t > 0 について ta \sim tbta は強度を t 倍した光)
  4. 三色性 — 適当に選んだ三つの原色の混合で、任意の色を再現できる

第2の法則が驚くべき主張をしている。「同じに見える二つの光は、何を足しても同じに見え続ける」—観察者の判断が、物理的な操作と両立するというのだ。これは論理的必然ではない。実験で確かめられた事実である。

何が言えるか

Krantz (1975) はこれらを公理として整備し、表現定理を証明した。結論はこうである。

色刺激の集合を \sim で割った商集合は、3次元の実線形空間の中の凸錐として表せる。

「凸錐」と書いたことに注意してほしい。線形空間そのものではない。光の強度は負にできないので、足し算と正の定数倍はできても、引き算はできないからである。同じ公理系を力の合成に当てはめると、そちらは全空間になる—力は逆向きにかけられるが、光は「負の光」を足せない。数学がほぼ同じでも、経験的な制約が像の形を変える。

つまり、各色を3次元ベクトル \phi(a) \in \mathbb{R}^3 で表すことができて、

\phi(a \oplus b) = \phi(a) + \phi(b), \qquad \phi(ta) = t\,\phi(a), \qquad a \sim b \iff \phi(a) = \phi(b)

が成り立つ。しかも \phi は正則な 3\times3 行列を掛ける自由度を除いて一意である。

言い換えよう。混色という現象を観察するだけで、色が3次元ベクトル空間をなすことが証明できる。網膜に三種類の錐体があるという生理学的知識は、一切使っていない

この結果の含意

三つ挙げたい。

第一に、「知覚が線形代数になる」ことが証明できた。心理的な現象から線形構造が導かれる—これは測定理論がもっともうまくいった例である。

第二に、一意性の中身が具体的である。3\times3 の正則行列を掛ける自由度、というのは「原色の選び方は自由」ということに他ならない。RGB でも CIE XYZ でも構わない。互いに線形変換で移り合う。カラーマネジメントで色空間を変換するとき、我々は一意性定理の言う自由度の中で動いているわけだ。

第三に、そして本書の文脈でいちばん大事なこと。三色性という公理は、後に錐体が三種類あることで説明された。心理物理学の公理が、生理学的な機構を予言していたのである。測定の構造を突き詰めることが、実装の解明につながった好例と言える。

色度図の落とし穴

ここで、第2節の「許される変換」がそのまま効いてくる例を挙げたい。色度図(chromaticity diagram)である。

色を3次元ベクトルで表したあと、強度の違いを無視して「色味」だけを見たいことがある。そこでスカラー倍したものを同じ点に潰す。すると3次元の凸錐が2次元の図になる—これが色度図の作り方だ。CIE の馬蹄形の図を見たことがあるだろう。

さて、この図に許される変換は何だろうか。スカラー倍を潰したのだから、これは射影平面である。図の構成に使われたのは線形従属の関係だけなので、許されるのは射影変換の群であって、ユークリッド変換ではない。

にもかかわらず。この図を眺めた人は、しばしば紙の上のユークリッド距離で色の違いを語る。「この二色は図の上で近いから似ている」と。だが射影変換で移り合う図の上では、距離に意味はない。原色の選び方を変えれば、図は引き伸ばされ、二点の距離は自由に変わってしまう。

Krantz らは、これを「意味のなさ」(meaninglessness)の典型例として挙げている。座標を与えられると、人はそこにユークリッド構造があると思い込んでしまう。

ここがポイント

色度図の上の距離は、意味を持たない。図が保存しているのは線形従属の関係だけであり、そこに許される変換は射影群だからである。

この構図を覚えておいてほしい。第11章で我々は、神経活動を高次元空間の点の配置として描き、その距離を測ってきた。そこで使った距離は、どんな変換のもとで意味を持つのか。色度図の失敗は、遠い分野の昔話ではない。

ヒント手を動かす

Grassmann の第2法則が破れる世界を想像してみてほしい。「ab は同じ色に見えるが、両方に c を足すと違う色に見える」という状況である。

このとき、色を数(ベクトル)で表そうとすると何が壊れるだろうか。\phi(a) = \phi(b) なのに \phi(a \oplus c) \ne \phi(b \oplus c) となる—そもそも \oplus\phi の像の上で well-defined な演算にならないことを確かめてほしい。

そして考えてほしい。前章の RDM は、この意味で well-defined だろうか。


7. 実例その二:多次元尺度構成法の基礎

いよいよ前章に戻る。

第11章第3節で、距離行列を二重中心化して固有値分解すれば点の配置が復元できる、と述べた(古典的 MDS)。そして「これはユークリッド距離のときに限る」と注意も付けた。

ではもっと一般に、非類似度のデータから空間的な配置を復元するという営みは、何を仮定しているのか。Beals, Krantz, Tversky (1968) はこれを測定理論の枠組みで公理化した。

問題設定

観察できるのは、対象のペアに対する非類似度の順序だとしよう。「ab の違いは、cd の違いより大きい」という判断ができる。記号では

(a,b) \succsim (c,d)

と書く。これは第5節の結合測定と同じ形の設定である—二つの要因の組み合わせに順序が入っている。

求めたいのは、各対象への座標の割り当て \phi: A \to \mathbb{R}^k と、距離関数 d であって、

(a,b) \succsim (c,d) \iff d(\phi(a), \phi(b)) \ge d(\phi(c), \phi(d))

を満たすものである。しかも dミンコフスキー距離の形

d_r(\mathbf{x}, \mathbf{y}) = \left( \sum_{i=1}^{k} |x_i - y_i|^r \right)^{1/r}

であってほしい(r=2 ならユークリッド、r=1 ならマンハッタン)。

何が要求されるか

Beals らが示したのは、この表現が存在するために必要な公理群である。詳細には立ち入らないが、性格を伝える三つを挙げる。

次元間分解可能性(decomposability)。全体の非類似度が、各次元ごとの差の何らかの結合として書けること。「色と形の違いを、色の違いと形の違いに分けて考えられる」という要求である。

次元内独立性(intradimensional subtractivity)。各次元での寄与が、その次元の座標の差だけで決まること。位置ではなく差で決まる、という平行移動不変性の要求である。

次元間加法性(interdimensional additivity)。次元ごとの寄与が足し合わさること—これがミンコフスキー形式を導く。

注目してほしいのは、これらがすべて実質的な仮定だという点である。論理的必然ではない。データによって破れうる。

前章への含意

さて、我々が第11章でやっていたことを振り返る。

応答パターンの間のユークリッド距離を計算し、RDM を作り、MDS で可視化し、「表現空間ではカテゴリごとにまとまっている」と言った。この手続きは、上の公理群を暗黙に仮定していた。

とくに次元間加法性は強い。「表現空間の各次元が独立に非類似度に寄与する」という主張である。もし脳の表現が、次元間に強い相互作用を持つ形で非類似度を決めているなら、ユークリッド距離で測ること自体が対象の構造を歪めていることになる。

もちろん、だから RSA が無効だというのではない。仮定していることを自覚したうえで使うのと、無自覚に使うのとでは、結果の解釈が変わるという話である。


8. 幾何モデルへの批判

前節の公理群には、その手前にもっと基本的な前提があった。そもそも非類似度を距離で表してよいのか。

第11章第3節で距離の四公理を挙げたとき、対称性と三角不等式に印を付けておいた。回収する。

Tversky の対照モデル

Tversky (1977) が指摘したのは、人間の類似性判断が距離の公理を破るという実験的事実である。

対称性の破れ。「北朝鮮は中国に似ている」への同意は、「中国は北朝鮮に似ている」への同意より強い。「息子は父に似ている」と「父は息子に似ている」も同様である。類似性判断には向きがある。だが距離は d(x,y) = d(y,x) を要求する。

三角不等式の破れ。ジャマイカとキューバは似ている(地理的に近い)。キューバとロシアは似ている(当時の政治体制)。だがジャマイカとロシアは似ていない。d(x,z) \le d(x,y) + d(y,z) が破れている。

Tversky は幾何モデルを捨て、特徴の集合による説明を提案した。対象 a が特徴集合 A を、bB を持つとして、類似性を

S(a,b) = \theta\, f(A \cap B) - \alpha\, f(A \setminus B) - \beta\, f(B \setminus A)

と書く。共通の特徴が類似性を上げ、それぞれに固有の特徴が下げる。\alpha \ne \beta とすれば非対称性が自然に出る—これが対照モデル(contrast model)である。

なぜ非対称になるのか。\alpha > \beta のとき、「a にしかない特徴」のほうが重く効く。だから特徴の少ない対象を主語にすると類似性が高く出る。「息子は父に似ている」のほうが同意されやすいのは、父のほうが顕著な特徴を多く持つと見なされるからだ、という説明になる。

表現幾何にとって何を意味するか

これは表現幾何にとって深刻な指摘だろうか。—半分は深刻で、半分はそうでもない。

深刻でない理由。第11章の RDM は、人間の類似性判断ではなく、神経応答パターンの間の距離を測っている。応答はベクトルであり、ベクトル間のユークリッド距離は定義上、対称性も三角不等式も満たす。Tversky が壊したのは「判断」であって「ベクトル間の距離」ではない。

深刻な理由。だが我々は、その RDM を「表現の構造」の記述として使い、しばしば知覚的類似性や行動と結びつける。もし知覚的類似性が距離の公理を満たさないなら、距離で書かれた表現幾何と、知覚のあいだには構造的なズレがある。表現幾何が行動を説明できない場面が出てくるとすれば、原因の一つはここにありうる。

そしてもう一点。第11章で実務の主役だった相関距離は、そもそも三角不等式を満たさない。我々はすでに、距離でないもので「距離」を測っている。その帰結を次節で見る。


9. 測定装置は構造を歪める

前章第2節で保留した宿題に、いよいよ答える。なぜ相関距離がうまくいくのか。

Bossio Botero と Kriegeskorte (2025) の結果を追う。この論文は、測定装置の線形代数的な性質が表現幾何をどう変形するかを、理論とシミュレーションで整理したものである。

測定をモデル化する

真の神経集団が N 個のニューロンからなり、条件 m に対する活動パターンを \mathbf{n}_m \in \mathbb{R}^N とする。我々はこれを直接は見られない。見られるのは測定チャネル(ボクセルや電極)の出力である。

測定チャネル j が、ニューロンの活動を重み w_{ji} で線形に足し合わせるとしよう。

r_{mj} = \sum_{i=1}^{N} w_{ji}\, n_{mi}, \qquad \text{つまり} \quad \mathbf{r}_m = W \mathbf{n}_m

この W が測定装置である。何を代入するかで、装置の種類が変わる。

  • 単一細胞記録W の各行は、一個のニューロンだけを選び出す(成分が一つだけ1で残りは0)
  • fMRI ボクセルW の各行は、多数のニューロンの非負の重み付き平均(血流は差し引きされない)
  • ランダム射影W の成分が平均0の分布から独立に引かれる(理論的な理想化)

そして我々が計算するのは、\mathbf{n} の距離ではなく \mathbf{r} の距離である。この二つはどう違うのか。

期待値の計算

重み w_{ji} が独立同分布で、平均 \mu_w、分散 \sigma_w^2 を持つとする。測定された距離の二乗の期待値を計算しよう。

\Delta = \mathbf{n}_m - \mathbf{n}_{m'} と置くと、チャネル j における差は \sum_i w_{ji}\Delta_i である。その二乗の期待値を取る。

\begin{aligned} \mathbb{E}\Big[\Big(\sum_i w_{ji}\Delta_i\Big)^2\Big] &= \mathrm{Var}\Big(\sum_i w_{ji}\Delta_i\Big) + \Big(\mathbb{E}\Big[\sum_i w_{ji}\Delta_i\Big]\Big)^2 &&\textsf{(二乗の期待値を分解)}\\ &= \sigma_w^2 \sum_i \Delta_i^2 + \mu_w^2 \Big(\sum_i \Delta_i\Big)^2 &&\textsf{(独立性を使った)} \end{aligned}

この二項が、すべてを語っている。

第一項 \sigma_w^2 \sum_i \Delta_i^2 は、真の距離の二乗に比例している。欲しかったものだ。

第二項 \mu_w^2 (\sum_i \Delta_i)^2 が曲者である。\sum_i \Delta_i は「集団平均の差」であり、これに \mu_w^2 が掛かっている。重みの平均 \mu_w がゼロでない限り、この項は消えない。

三つの帰結

ランダム射影なら歪まない。\mu_w = 0 なら第二項が消え、測定距離は真の距離に比例する。ただしこれは期待値の話である—チャネル数が有限なら、個々の測定にはランダムなばらつきが残る。以下も同様に、すべて期待値の上での議論だと読んでほしい。同様に、単一細胞をランダムに抜き取る場合も歪みは生じない(この場合は \Delta の成分をランダムに選んでいるだけなので、期待値として真の距離に比例する)。電極記録が表現幾何を大きく歪めないのは、このためである。

fMRI ボクセルは歪む。ボクセルの重みは非負だから \mu_w > 0 である。したがって第二項が生き残る。

歪み方を係数で書くと、はっきりする。\Delta\mathbf{1} 方向の成分とそれに直交する成分に分けると、期待値に掛かる係数は

  • \mathbf{1} 方向 — \sigma_w^2 + N\mu_w^2
  • 直交する方向 — \sigma_w^2

となる。\mathbf{1} 方向だけが N\mu_w^2 の分だけ大きく評価される。言い換えれば、集団平均の次元に対して、それ以外の方向が相対的に縮む。

直感的にはこう理解できる。ボクセルは多数のニューロンの平均を取る。すると、ニューロンごとにばらばらな成分は打ち消し合って小さくなり、全ニューロンが揃って動く成分だけが生き残る。平均を取るという操作が、集団平均の次元を特権化する。

平均を除去すると歪みが消える。ここが最初は意外に感じられるところだ。各測定パターンから、チャネル間の平均を引く。

\tilde{\mathbf{r}}_m = \mathbf{r}_m - \bar{r}_m \mathbf{1}, \qquad \bar{r}_m = \frac{1}{J}\sum_j r_{mj}

この操作で、第二項が期待値の上で厳密に打ち消される(残るのは (J-1)\sigma_w^2\|\Delta\|^2 で、真の距離の二乗にきれいに比例する。J ではなく J-1 になるのは、\mathbf{1} 方向の一次元分を落としたためである)。歪みの原因が「\mathbf{1} 方向の特権化」だったのだから、\mathbf{1} 方向の成分を抜けば元に戻る—言われてみれば当然だが、期待値として厳密に補正されるというのは強い結果である。

なお、歪まずに済む道はもう一つある。\sum_i \Delta_i 自体がゼロになる場合、つまり条件が変わっても集団平均が動かない場合である。このときは重みが非負でも第二項は消える。整理すると、測定距離が真の幾何を反映するのは—(1) 単一細胞をランダムに抽出する、(2) 重みが独立同分布で、かつ (2a) 平均ゼロの分布から引かれる、(2b) 条件によらず集団平均が同じ、(2c) 各パターンから平均を除く—のいずれかが成り立つときである。

宿題の答え

そして—相関距離は、その定義の中に平均除去を含んでいる。

\mathrm{corr}(\mathbf{r}, \mathbf{r}') = \frac{(\mathbf{r} - \bar{r}\mathbf{1})^\top (\mathbf{r}' - \bar{r}'\mathbf{1})}{\|\mathbf{r} - \bar{r}\mathbf{1}\| \, \|\mathbf{r}' - \bar{r}'\mathbf{1}\|}

相関係数を計算するとき、我々は必ず各パターンから平均を引いている。つまり相関距離は、意図せずして fMRI ボクセルの歪みを補正していた。

第11章第2節で「情報を捨てる距離がなぜうまくいくのか」と問うた。答えはこうである—捨てていたのは、測定装置が混入させたノイズの方向だった。相関距離は情報を捨てていたのではなく、装置由来の歪みを除去していたのである。

これで、fMRI で測った RDM とサルの単一細胞記録から作った RDM が似た値を返す、という経験的事実にも説明がつく(Kriegeskorte ら 2008 の有名な結果)。相関距離を使っている限り、二つの装置の違いは期待値の上で消えるからだ。

ここがポイント

測定距離の期待値は「真の距離 + 重みの平均に依存するバイアス項」に分解される。ランダム射影や単一細胞のランダム抽出ではバイアスが消え、fMRI ボクセル(非負重み)では集団平均の次元が引き伸ばされる。各パターンから平均を除けば、この歪みは期待値上で厳密に補正される—これが相関距離が「うまくいく」理由である。

ただし相関距離には副作用もある。分散でも割るため、ノルムの小さいパターン同士でも距離が大きく出てしまう。区別しにくい(デコードしにくい)二つの条件が、RDM の上では遠く見えることがある。Bossio Botero らは代替として、平均除去だけを行って分散正規化はしないユークリッド距離(またはマハラノビス距離)を推奨している。

そして限界も述べておかねばならない。以上は「重みが独立同分布」「ノイズなし」という理想化のもとでの結果である。実際の fMRI ボクセルは空間的に相関している。ノイズとの相互作用も扱われていない。これらは今後の課題として残されている。


10. デコーディングを測定として読む

第6章第8節で保留した問いに戻る。デコーディングは何を明らかにしているのか。

あのとき「読み出せる」ことと「使われている」ことは違う、と述べて先送りにした。本章の道具で整理しよう。

何が測られているのか

デコーディング精度という数を計算するとき、我々は何を測定しているのか。

素朴には「脳が情報を持っているかどうか」を測っていると言いたくなる。だが厳密には、測っているのは「我々が用意した読み出し器で、その情報を取り出せるかどうか」である。ここには少なくとも三つの要素が混じっている。

  1. 神経集団が実際に持っている情報
  2. 測定装置(ボクセル・電極)がそれをどう写したか
  3. デコーダ(線形分類器など)がその写像から何を取り出せるか

前節で見たのは、2番目が構造を歪めうるという話だった。そして3番目にも制約がある。線形デコーダを使うなら、非線形にしか読み出せない情報は「無い」と判定される。

デコーディング精度は、この三つの合成の測定値である。だから精度が低いことは「情報がない」ことを意味しない。精度が高いことも、「脳がその情報を使っている」ことを意味しない。

許される変換という観点

本章の言葉で言い直すと、こうなる。デコーディング精度は、どんな変換のもとで不変か。

表現空間に可逆な線形変換 T を施したとする。\mathbf{r} \mapsto T\mathbf{r}。線形デコーダの性能はこの変換で変わらない(デコーダの重みを T^{-\top} で変換すれば同じ出力が得られる)。

つまり—デコーディング精度は、可逆線形変換の群のもとで不変な量である。これは第2節の枠組みそのものだ。許される変換の群が分かれば、何が意味を持つ主張かも決まる。

この観察には二つの含意がある。

第一に、「どのユニットが情報を担っているか」という主張は、この不変性のもとで意味を持たない。T で座標を混ぜれば、担い手は変わってしまう。第11章第1節で述べた「表現幾何は座標軸に意味を与えない」という性質の、別の言い方である。

第二に、読み出し部分空間なら意味を持つ。デコーダの重みベクトルが張る部分空間は、T に応じて変換されるが、「表現空間の中でどれだけの次元を使っているか」「ヤコビアン J の像とどう重なっているか」といった関係は保たれる。個々の軸ではなく、部分空間どうしの関係が不変な対象である。

第11章第4節で J の像が「刺激変化が動かせる方向」を張ると述べた。読み出し器が使っている部分空間が、この像とどう重なるか—それが「読み出せる情報」の幾何的な内容になる。

ここから、表現の定義そのものを組み替える提案も出ている。表現を「どんな因果の道すじで作られたか」ではなく、「そこから何が復元できるか」で定義しようという立場である。読み出し表現(readout representation)と呼ばれる(Onoo, Nagano & Kamitani, 2025)。第18章第8節で、この発想が哲学の側の議論とどう噛み合うかを見る。そこで導入する四つの次元の言葉を先取りすれば、デコーディング精度が測れるのは「感受性」であって「機能性」ではない—下流が実際に使っているかどうかは、介入しなければ分からない。


11. まとめ ── 何を仮定して数を扱っているか

本章の道具を、本書でこれまで計算してきた量に当ててみよう。点検の練習である。

どんな尺度か 暗黙の仮定
発火率 比率尺度と扱われる 絶対原点(発火なし=0)があり、2倍の発火率に意味があるという前提。外延的測定の公理(とくに加法性)が成り立つかは、実は自明でない
相互情報量 比率尺度 ビットという単位の選び方以外に自由度がない。ただし連続分布では離散化の仕方に依存し、推定量のバイアスも大きい
デコーディング精度 順序尺度に近い 可逆線形変換で不変(第10節)。ただし「精度が2倍」に明確な意味はない。チャンスレベルが課題設計に依存する
表現距離(ユークリッド) 比率尺度 測定装置が歪めていないこと(第9節)、次元間加法性(第7節)
表現距離(相関) 順序尺度と見るのが安全 三角不等式が破れているので「距離」としての解釈は限定的。ただし装置の歪みは補正されている
表現次元(参加率) 比率尺度 共分散行列の推定が安定していること。サンプル数がユニット数より少ないと大きく偏る

こうして並べると、我々が扱っている量の多くは、思っているほど強い尺度ではないことが分かる。とくに表現距離を相関距離で作りながら、その値の比を論じたり、平均を取ったりすることには注意が要る。

だが本章の目的は、これらの手法を否定することではない。仮定を明示することは、手法を使えなくすることではなく、使える範囲を確定することである。第9節で見たとおり、相関距離が「うまくいく」理由を突き止めた結果として、より良い代替(平均除去のみのユークリッド距離)が提案できた。仮定を掘ることは、道具を改良する道でもある。

そして最後に、第17章への橋を架けておきたい。

第17章では「脳とAIの表現は収束しているのか」という問いを扱う。プラトン表現仮説は「収束している」と言い、アリストテレス表現仮説は「校正すれば大域的な収束は消える」と言う。この対立を理解する鍵は、両者が違う量を、違う変換のもとで比べているという点にある。

本章を通った読者には、そこで問うべきことが見えるはずだ—その指標は、どんな変換のもとで不変なのか。

ノートコラム:心理物理学の測度

測定理論が心理学から生まれた背景には、19世紀に始まる心理物理学の伝統がある。

閾値と弁別閾。Fechner は、二つの刺激を区別できる最小の差を弁別閾(just noticeable difference, JND)と呼び、これを感覚の「単位」に使えると考えた。Weber の法則によれば、弁別閾は基準刺激の強度に比例する($I / I = $ 一定)。これを積分すると、感覚量は物理強度の対数に比例するという Weber–Fechner の法則 S = k \log I が得られる。

べき法則。Stevens はこれに異を唱えた。被験者に「この光はあの光の何倍の明るさか」と直接答えさせるマグニチュード推定を用いると、感覚量は物理強度のべき乗 S = kI^{\alpha} に比例する、というのが彼の主張である。指数 \alpha は感覚モダリティによって異なり、明るさで約0.33、電気ショックで約3.5と報告されている(図 1)。

図 1: 対数則とべき法則の比較(模式)。指数 \alpha が 1 より小さければ飽和し、1 より大きければ加速する—べき法則は両方の形を表せるが、対数則は飽和する形しか作れない。ここで見てほしいのは \alpha=0.33 の曲線で、これは対数則とほとんど区別がつかない。二つの法則の優劣が、データだけではなかなか決着しない理由の一端がここにある。

対立の中身。二つの法則の違いは、単なる関数形の違いではない。Fechner は「弁別閾を足し合わせる」という間接的な構成を取り、Stevens は「何倍か」という判断を直接信用した。後者は「被験者が比を判断できる」ことを前提にしており、それ自体が比率尺度の存在を仮定している。測定の可否を問うている場面で、測定できることを前提にしてよいのか—この循環への懸念が、本文で見た公理的な測定理論を生む動機の一つになった。

測定理論からの批判。ここで本文とつながる論点がある。Stevens は自分のマグニチュード推定を「比率尺度」と呼んだ。だが Krantz らは、これを用語の混乱だと厳しく批判している。

Stevens 自身が「比率尺度」という語を導入したときの定義は、任意の二つの準同型が定数倍で結ばれることだった(第2節)。ところがマグニチュード推定については、彼は経験的関係構造も、数的関係構造も、公理も示していない。表現定理を証明していないのに、その結論だけを名乗っているというのが批判の骨子である。

被験者に「何倍か」を答えさせ、その数をそのまま尺度値とする—これは比率が測れることを前提にして比率を測る手続きに見える。上で述べた循環への懸念は、測定理論の側からもこの形で提出されていた。

分かっていないこと。どちらの法則も、限られた範囲では実験データによく合う。だがどちらが「正しい」のかは、いまも決着していない。そもそも「感覚量」という単一の量が存在するのか、それは課題や文脈に依存しないのか—という問い自体が未解決である。マグニチュード推定の値が教示の仕方や提示順序で変わることは繰り返し報告されており、測っているものが観察者の内的な量なのか、判断の方略なのかは切り分けられていない。

出典 Fechner (1860)、Stevens (1957)、Krantz ら (1971) 第1章。

確認問題

  1. [確認]摂氏温度で「今日は昨日の2倍暑い」という主張が意味をなさない理由を、許される変換を用いて説明せよ。また、意味をなす主張の例を一つ挙げよ。(第2節)

  2. [導出]比率尺度で許される変換の集まりが群をなすことを、群の三つの条件を確認して示せ。また対数間隔尺度の変換 \phi \mapsto a\phi^{\,b} についても同じことを確かめよ。(第2節・第13章第2節)

  3. [導出]外延的測定の証明(第4節の五段階)において、アルキメデス性の公理はどの段階で必要になるか。その公理がなければ何が起きるか。(第4節)

  4. [導出]加法表現が存在すれば二重キャンセレーション条件が成り立つことを、本文の計算を自分で再現して示せ。(第5節)

  5. [考える]色度図の上のユークリッド距離に意味がないのはなぜか。同じ理屈が第11章の表現幾何に当てはまるとすれば、何を確かめておく必要があるか。(第6節・第11章第2節)

  6. [考える]Tversky が挙げた「類似性判断の非対称性」の例を一つ挙げ、対照モデルがそれをどう説明するかを述べよ。そのうえで、非対称性を認めると RDM の対称性の仮定がどうなるかを論じよ。(第8節・第11章第2節)

  7. [導出]測定距離の期待値が「真の距離 + バイアス項」に分解されることを、本文の計算を再現して示せ。バイアス項が消える条件を四つ挙げよ。(第9節)

  8. [確認]相関距離が「うまくいく」理由と、その副作用を述べよ。Bossio Botero らが代替として推奨する距離は何か。(第9節)

参考文献

  • Stevens, S. S. (1946) On the theory of scales of measurement. Science — 尺度水準の原典[2節]
  • Krantz, D. H., Luce, R. D., Suppes, P. & Tversky, A. Foundations of Measurement Vol. I–III — 本章の土台。Vol. I 第1章(表現定理と一意性定理の定式化)と第3章(外延的測定)、Vol. II 第15章(色)が本章に対応する
  • Luce, R. D. & Tukey, J. W. (1964) Simultaneous conjoint measurement. J Math Psychol — 加法的結合測定の原典[5節]
  • Krantz, D. H. (1975) Color measurement and color theory — 色の表現定理[6節]
  • Beals, R., Krantz, D. H. & Tversky, A. (1968) Foundations of multidimensional scaling. Psychol Rev — MDS の公理[7節]
  • Tversky, A. (1977) Features of similarity. Psychol Rev — 対照モデルと幾何モデル批判[8節]
  • Bossio Botero, M. & Kriegeskorte, N. (2025) When do measured representational distances reflect the neural representational geometry? eLife — 本章第9節の出典。相関距離が「うまくいく」理由