1  脳とAIを同じ数理で見る ── 本書の見取り図

脳とAIを記述する数学は、驚くほど重なっている。これが本書の出発点である。

1943年、McCulloch と Pitts という二人の研究者が、神経細胞(ニューロン)の数学モデルを書いた。入力を重み付きで足し合わせ、出力を出す境目(閾値)を超えたら発火する—それだけのモデルである。彼らの目的は脳の理解だった。その80年後、同じ形の計算素子を何十億個も積み上げたシステムが、文章を書き、絵を描き、コードを書いている。こちらの目的は工学である。

二つの営みは、途中で別れたのだろうか。それとも、いまも同じ道の上にいるのだろうか。

別れた時期は、確かにあった。AIは生物学的な忠実さを手放すことで前へ進み、脳の理論研究は実際の回路が何をしているかを問い続けた。だが近年、両者はふたたび交わりつつある。

画像を見せると、脳では複数のニューロンに、人工ネットワークでは複数のユニットに、それぞれ応答のパターンが生じる。入力の情報をこうしたパターンとして保持するあり方を、ここでは表現と呼んでおこう(この語が何を意味しうるかは第18章で正面から扱う)。細部まで脳を真似ていないネットワークが、サルやヒトの視覚野と似た表現を持つ—そうした一致(アライメント)が次々と報告され、この交点はニューロAI(NeuroAI)と呼ばれるようになった。

本書の立場は、「いまも同じ道の上にいる」のほうに近い。ただし「脳とAIは似ている」という素朴な主張をするのではない。冒頭に述べたとおり、重なっているのは両者を記述する数学であって、本書はそれ以上のことを言わない。

畳み込み。エネルギー関数。変分下界。ヤコビアン。群の作用。これらは脳の側でもAIの側でも現れる。しかも同じ役割を果たす。本書はその重なりを、一つずつ確かめていく本である。

ヒント本章のガイド

この章は本書全体の地図である。式はほとんど出てこない。どの章で何をやるのか、そしてなぜその順番なのかを掴んでほしい。急ぐなら第3節の表だけ見て先へ進んでもよい。ただし第2節「モデルとは何をする道具か」は、本書を通じて効いてくる。「説明した」とはどういうことかという問いは、第9章と第16章でもう一度、もっと厳しい形で戻ってくる。


1. 二つの「ニューラルネットワーク」

生物のニューロン

脳には約860億個のニューロンがある。一個のニューロンは、入力を受ける枝である樹状突起で他の細胞から入力を受け、細胞の本体である細胞体で統合し、閾値を超えると出力を送る長い突起である軸索に、短い電気的なパルスである活動電位(スパイク)を送り出す。このパルスを出すことを発火という。ここで重要なのは、スパイクが「全か無か」だということである。入力が閾値をわずかに超えても、大きく超えても、出るスパイクの大きさは同じだ。だから情報はスパイクの大きさではなく、いつ・何回発火したかに載っている。

一個のニューロンは数千個の細胞から入力を受け、数千個へ出力する。この受け渡しの接点をシナプスといい、その結合の強さ(シナプス強度)が経験によって変わる—これが学習の物理的な実体だと考えられている。

人工ニューロン

人工ニューラルネットのユニットは、これを大胆に簡略化している。入力のそれぞれに重みを掛けて足し合わせ、その合計から一つの出力を決める、というだけの仕掛けである。

入力の番号を i とし、x_i をその入力の値、w_i をその入力に掛ける重みとする。合計に加える定数 b をバイアス、合計を出力へ変える関数 \varphi を活性化関数と呼ぶ。出力を y と書けば、

y = \varphi\left( \sum_{i} w_i x_i + b \right)

である。\sum_i は、このユニットに入るすべての入力について足すという意味だ。入力 x_i を重み w_i で足し合わせ、バイアス b を加え、活性化関数 \varphi を通す。それだけである。この式が生物学的に何を捨てているかを確認しておこう。

  • 時間がない。生物のニューロンは時々刻々と細胞膜の内外の電位差(膜電位)が変化するが、この式には時間が現れない
  • スパイクがない。出力は連続値であり、単位時間あたりの平均的な発火回数である「発火率」の近似だと解釈される
  • 樹状突起の構造がない。実際には入力の統合は場所によって非線形だが、単純な和にしている
  • 相手を発火しやすくする興奮と、発火しにくくする抑制の区別がない。生物のニューロンは、どの細胞へも同じ符号の作用しか及ぼさない(Dale の法則)が、人工ユニットの重みは自由に正負を取る

それでもこのモデルが有用なのはなぜか。第2節の話につながるが、先に一つ答えを出しておく—何を捨てるかは、何を説明したいかで決まる。物体認識の階層的な計算を理解したいなら、時間の詳細は捨ててよいかもしれない。逆に、てんかん発作の発生機構を理解したいなら、捨ててはいけない。

本書での扱い

本書は両方を扱う。第2章ではホジキン・ハクスレー方程式で膜電位を微分方程式として書き、第3章では集団の発火率へ縮約する。第8章では時間も発火も捨てた人工ユニットで深層ネットを組む。

行ったり来たりするのは、意図的である。どの水準の記述がどんな問いに答えるのかを、そのつど確かめるためだ。


2. モデルとは何をする道具か

三つの種類

Dayan と Abbott は、神経科学のモデルを三つに分類した。この区別は本書を通じて有用である。

記述モデル(descriptive model)— データの規則性を要約する。たとえば大脳の表面を覆う大脳皮質のうち、視覚入力を早い段階で受ける第一次視覚野(V1)の細胞には、視野の決まった場所に決まった向きの縞を見せるとよく応答するものがある。この傾向を、限られた範囲の縞模様を画像に当てて応答を計算するガボールフィルタで近似する。「V1 細胞の応答はガボールフィルタでよく近似できる」というのがこれである。なぜそうなっているかは問わない。細胞の応答に影響する視野の範囲を受容野といい、第4章で扱う受容野モデルの多くがここに属する。

機構モデル(mechanistic model)— どんな部品がどう組み合わさってその現象が生じるかを示す。ホジキン・ハクスレー方程式が典型で、膜に開いて電荷を持つ粒子(イオン)を通す穴(イオンチャネル。第2章で扱う)が電流をどれだけ通しやすいか、すなわちコンダクタンスから活動電位を導く。第2章と第3章が中心である。

解釈モデル(interpretive model。「規範モデル」と呼ばれることも多い)— 「どんな目的と制約のもとなら、そうなることが望ましいか」を問う。効率的符号化仮説(第4章第6節)がそうだ。自然画像の統計に対して情報を効率よく符号化しようとすると、V1 のような受容野が出てくる—という説明である。

三つは互いを補える。同じ現象に三つの説明があってよい。ただし、ある目的にかなうことが示せても、それが実際に生じる仕組みや、進化の過程で残った理由まで分かったことにはならない。

脳は最適設計なのか

最適化のモデルには、人を引き込む力がある。受容野の形も、学習の規則も、一つの目的から導けるのなら、ばらばらだった知識が一本につながる。だが、つながりの美しさは、脳がそうできている証拠だろうか。

Ramachandran (1985) は、知覚を「手品の袋」(bag of tricks)として捉える道を示した。自然選択を通じて、特定の場面で役に立つ近道や経験則が積み重なった、という見方である。彼が引き合いに出したのは消化だった。食物を吸収できる形にする仕事は、噛み砕くこと、腸の運動、酵素による分解などの組み合わせで進む。視覚にも、同じように用途別の仕掛けがあるかもしれない。何ができればよいかを定めても、どの仕掛けが使われているかは別に調べなければならない。

これは自然選択を否定する議論ではない。むしろ、生物の器官として脳を見る議論である。脳のアーキテクチャ、すなわち部品の配置とつなぎ方には、現在の課題だけでなく、進化の歴史と実際の部品の制約が効く。既存の仕組みを使い回してきたものに、白紙から引いた設計図の美しさを求めてよいのか。

Fakhar と Astle (2026) は、この問いを脳の配線に向けている。配線の費用を減らすことと、離れた領域の間で情報を伝えやすくすることは、必ずしも両立しない。一つの指標だけで見れば非最適でも、別の要求や発達上の制約を含めれば、その配置の意味は変わる。それでも、配線の費用と情報の伝わりやすさの両方で、実際の脳よりよい配置を計算上は作れるという。複数の要求を考えれば、ただちに最適設計になるわけではない。だからといって、隠れた目的を足せばつねに最適だったと説明してよいわけでもない。目的と制約そのものに、独立した根拠が要る。

本書で最小化の式に出会ったら、三つを分けてほしい。研究者がそのように作ったモデル。実際の変化を要約する数式。その数式を脳が実現し、進化のなかで獲得してきたという主張。 一つ目が動き、二つ目がデータに合っても、三つ目まで自動的についてくることはない。第4章と第7章でこの区別を使い、第16章で最も広い主張に向き合う。

「説明した」とはどういうことか

だが、ここで立ち止まりたい。モデルが現象を再現できたら、それは説明したことになるのだろうか。

素朴には「なる」と言いたくなる。だが困った例がある。

入力を有限の区間に限り、その範囲でなめらかに変わる出力を再現したいとしよう。ニューラルネットの一つの層に並ぶユニット数を「幅」と呼ぶ。十分に幅のあるニューラルネットは、コンパクトな領域(有界で境界を含む領域)の上の任意の連続関数を、望むだけの精度で近似できる。これが万能近似定理である。だから、その範囲で連続な関数として書ける入出力関係なら、十分大きなネットワークでいくらでも精密に再現できる。では、そのネットワークは脳を説明したのか。

多くの人は「していない」と答えるだろう。再現できることと、理解できることは違う。ではその違いはどこにあるのか—簡潔さだろうか。予測力だろうか。介入への応答が一致することだろうか。

この問いは、本書で二度戻ってくる。第9章第8〜9節では、Hasson らの「Direct Fit to Nature」という主張を扱う。脳もネットワークも、簡潔な規則を発見しているのではなく、膨大なデータの上で、既知の例のあいだを埋める推定(内挿)をしているだけかもしれない—という見方である。もしそうなら、「簡潔な数式で書けること」を理解の基準にしてよいのか。

第16章第7節では、自由エネルギー原理への批判を扱う。あらゆることを説明できる理論は、何も予測しないのではないか、という批判である。

本書はこの問いに最終的な答えを出さない。だが問いを持ったまま読み進めてほしい。各章でモデルが出てくるたびに、「これは何を説明していて、何を説明していないのか」と自問する習慣は、この分野でいちばん役に立つ癖である。

「機構の説明」の基準 ── 3M

この問いに、科学哲学の側から具体的な基準が提案されている。Kaplan と Craver (2011) の 3M 基準(model–mechanism–mapping constraint)である。要求は二つある。

  1. モデルの変数が、機構の構成要素に対応していること
  2. 変数どうしの依存関係が、実際の因果関係に対応していること

第2章のホジキン・ハクスレー方程式なら、変数をイオンの通り道の開閉に、各項を電流に結びつけて読める。深層ネットワークでは、その対応は簡単にはつかない。応答が似ていても、個々のユニットが脳のどの部品に当たるかは、それだけでは分からないからだ。

ただし3Mは、完全な一対一対応だけを認める基準ではない。理想化や部分的な対応も許される。細胞を一個ずつ見るのか、集団の活動を見るのか。対応を問う単位の細かさを粒度という。どの粒度なら機構の説明が成り立つかが、問題になる。

この区別を試す実験もある。Jonas と Kording (2017) は、仕組みが既知のコンピュータのプロセッサに神経科学の解析を当てた。活動の規則性は見つかっても、それだけでは計算の仕組みを捉えられなかった。パターンが見えることと、どう動くかが分かることには隔たりがある。

「モデルが脳に似ている」とは、予測が当たることか、部品と因果関係が対応することか。この区別を持って読み進めてほしい。第17章第8節では、対応を求める水準を見直す Cao と Yamins の案を扱う。

マーの三水準

もう一つ、有名な整理を挙げておく。David マーは、情報処理システムの理解には三つの水準があるとした。

  1. 計算理論(computational)— 何を計算しているのか。なぜそれが必要か
  2. 表現とアルゴリズム(algorithmic)— どんな表現を使い、どんな手続きで計算するか
  3. 実装(implementational)— それが物理的にどう実現されているか

マーの主張は「上の水準の理解なしに、下の水準を調べても意味が分からない」というものだった。ニューロンをいくら詳しく調べても、それが何のためにあるかを知らなければ理解にならない、と。

本書の第11〜13章(表現・測定・対称性)は、この第2水準に正面から取り組む。そして第2水準を扱おうとすると、思いがけず厄介な問題—「表現とは何か、それをどう測るのか」—にぶつかる。


3. 本書で使う数理の見取り図

本書の構成を、どんな数学が現れるかという観点から一望しておく。本書は部に区切らないが、章はおのずと五つのまとまりを作る。そのまとまりごとに並べておく。

五つのまとまり

まとまり 主題 中心となる数学
2–3 ニューロンとネットワーク 微分方程式、力学系、分岐
4–6 符号化・復号化・情報 畳み込み、フーリエ変換、確率、情報理論
7–10 学習 統計力学、最適化、カーネル法
11–13 表現と測定 線形代数、微分幾何の初歩、測定理論、群論
14–18 生成モデルと推論 変分法、確率微分方程式、圏の言葉の初歩

同じ道具が何度も現れる

本書のいちばんの特徴は、一つの数学的な道具が、章をまたいで姿を変えて再登場することである。これは編集の都合ではなく、本書が伝えたい内容そのものだ。

主なものを表にしておく。いま意味が分からなくてよい。読み進めるうちに、この表に何度も戻ってくることになる。

道具 初出 再登場
畳み込み 4.2(受容野・ガボール) 8.7(CNN の畳み込み層)→ 13.7 で「平行移動同変性から必然的に導かれる」と正体が明かされる
ヤコビアン 2.4(安定性のヤコビ行列) 5.2(確率密度の変換)→ 9.5(NTK)→ 11.4(表現の計量 J^\top J)→ 15.4(フローの \lvert\det J\rvert
フィッシャー情報量 6.5(Cramér–Rao 下界) 11.5 で表現幾何と同じ式だったと明かされる
エネルギー関数 7.1–7.4(ホップフィールド・ボルツマン) 15.7(スコア)→ 16.2(自由エネルギー)
変分下界 14.3(ELBO) 16.2 で符号を反転すると自由エネルギーになる
準同型 12.3(準同型)・12.4(測定の表現定理) 13.6(群準同型は同じ発想)
正相・負相 7.5(ボルツマン学習則) 14.5(Wake-Sleep の二相に対応)

本書の構成を一枚にまとめると、図 1 のようになる。

図 1: 本書で使う数学の再利用マップ。上の帯は前項の五つのまとまり(Ⅰ〜Ⅴ)、横軸が章、五本の帯がそれぞれ一つの数学的な道具を表す。黒丸が初出、灰丸が再登場、白丸が「正体が明かされる場所」である。

画像の明るさを少し変えたとき、各ニューロンの応答はどれだけ変わるだろうか。入力の各成分の小さな変化が、出力の各成分にどう伝わるかを並べた行列がヤコビアンである(記法は第4節でまとめる)。このヤコビアンが五つの役目を負っていることに注目してほしい。小さなずれが時間とともに増えるか減るかを見る力学系の安定性(第2〜3章)、変数を取り替えたときの確率密度の変換(第5章)、学習に伴って出力が動く速さを決める学習のダイナミクス(第9章)、刺激の違いが応答の違いにどう現れるかを測る表現の幾何(第11章)、変換で作られたデータの確率密度を求める生成モデルの密度(第15章)である。対象はばらばらだが、道具は一つである。「写像が微小な変化をどう伝えるか」を知りたいとき、われわれはいつもヤコビアンを見ている。

保留と回収

もう一つ、本書には仕掛けがある。答えを保留したまま先に進み、後の章で回収する箇所がいくつかある。

  • 4.5 で「不変性」という言葉を出し、定義せずに使う → 13.4 で不変・同変・共変として整理する
  • 6.8 で「読み出せることと使われていることは違う」と述べて保留 → 12.10 で回収する
  • 11.2 で「なぜ相関距離がうまくいくのか」と問うて保留 → 12.9 で答えを出す
  • 9.8–9.9 で「脳の理解とは何か」を開く → 17.6(世界モデルか、直接当てはめか)で正面から対立させ、18.9 で再訪する

もどかしく感じたら、それは意図されたものである。問いを持ったまま次の章へ進むほうが、答えが来たときの理解が深い。

数学の前提

本書が要求するのは、大学1〜2年で習う範囲である。

必要なもの — 線形代数(行列、固有値、内積)、微積分(偏微分、連鎖律、テイラー展開)、確率の初歩(分布、期待値、条件付き確率)

必要でないもの — 測度論、関数解析、多様体論、抽象代数

必要な道具は、使う直前に本文で導入する。「必要な数学:〜」という節がそれである。前もって数学を積み上げてから応用に入る、という構成は取らない—必要になった場面で、必要な分だけ導入するほうが身につくと考えるからだ。記法の約束だけは、次の第4節に一覧としてまとめてある。


4. 表記法と約束

本書で使う記号の約束を、最小限だけ決めておく。記号に迷ったら、いつでもここへ戻ってきてほしい。

ベクトルと行列

  • スカラー — 一つの数。細字の小文字 x, y, \theta
  • ベクトル — 数を並べたもの。太字の小文字 \mathbf{x}, \mathbf{r}。断りがなければ列ベクトルである
  • 行列 — 数を行と列に並べたもの。大文字 W, J, \SigmaW \in \mathbb{R}^{M \times N}MN 列の実行列を表す。行と列が何に対応するかは、その行列を導入する場所で必ず書く
  • 転置 — 行と列を入れ替える操作。W^\top。上の例なら W^\top \in \mathbb{R}^{N \times M} である

ベクトル \mathbf{x} \in \mathbb{R}^N の第 i 成分は x_i のように添字で書く。同じ成分数を持つ二つのベクトルの内積は、対応する成分どうしを掛けて足した一つの数で、\mathbf{x}^\top\mathbf{y} または \langle \mathbf{x}, \mathbf{y}\rangle と書く。

添字の上下について

同じベクトルでも、座標の基準にする基底を取り替えると成分の値は変わる。第13章では、この変わり方を区別するために、添字を上に書く記法が出てくる。v^i\omega_i を区別するのである。v^i はベクトルの第 i 成分で、上付きの i は累乗ではなく成分の番号だ。いっぽう \omega_i は、ベクトルを受け取って一つの数を返す線形な規則の第 i 成分である。これは飾りではない。基底を取り替えたときに、その量がどちら向きに変換されるかを表す標識である(上が反変、下が共変)。二つを組み合わせて得られる数が基底の選び方によらないように、上と下の成分は互いに補い合って変換される。第13章第5節でこの区別を導入するまでは、すべて下付きで書く。

確率

  • 確率変数は大文字 X、その実現値(実際に得られた値)は小文字 x。大文字は行列にも使うので、どちらを指すかは導入する場所で断る
  • 密度関数は p(x)。ある範囲に入る確率は、その範囲で密度を積分して得られる。モデルのパラメータを \theta と書き、それへの依存を明示するときは p_\theta(x) とする
  • 期待値(分布で重みを付けた平均)は \mathbb{E}[\cdot] と書き、角括弧の中には平均したい量を入れる。どの分布で平均するかを明示したいときは、q による期待値を \mathbb{E}_q[\cdot] と書く
  • 分布 p に従って値を一つ取り出すことを x \sim p と書く

神経応答

本書を通じて、次の記号を固定する。

  • s — 刺激(stimulus)。刺激を指定する連続的な変数が d 個あるときは s \in \mathbb{R}^d と書く。d は刺激の次元である。刺激はベクトルの場合も、慣例として太字にせず s と書く。ただし次元を表す文字は章によって変わる—d を距離(第11章)や潜在変数の次元(第14〜15章)に使う章では、刺激の次元を Dp と書く。ずれる箇所ではその場で断る
  • \mathbf{r} — 応答(response)。ユニット数を N とすると \mathbf{r} \in \mathbb{R}^N で、各成分が一つのユニットの応答である
  • f — エンコーディングモデル \mathbf{r} = f(s)。刺激から応答を予測する関数で、f: \mathbb{R}^d \to \mathbb{R}^N である
  • J — そのヤコビアン \partial f/\partial s。刺激を少し動かしたときに各ユニットの応答がどれだけ変わるかを並べたもので、J \in \mathbb{R}^{N \times d}、行が応答ユニット、列が刺激の変数に対応する。f が微分可能な点で定め、その値は刺激 s によって変わる

この s \to \mathbf{r} \to 読み出し という流れが、第4〜6章と第11〜13章を貫く骨格である。

用語の日本語表記

英語と日本語が混在する分野なので、方針を述べておく。定着した訳語があるものは日本語で書き(畳み込み、勾配降下法、変分推論)、定着していないものは英語のまま、または初出時に併記する(untangling、Neural Collapse)。


コードについて

本書は数式が主で、コードは補助である。「手を動かす」の囲みで数値実験を勧めており、 そこで使う Python のコードは別途配布する(いずれも NumPy があれば数十行で書ける範囲に 収めてある)。

ただし本書は、コードを走らせなくても読み通せるように書いてある。実験の結果は グラフか数値として本文に示すので、まず結果を見て、気になったら自分で回してほしい。


ノートコラム:脳を眺めわたす

本書は脳の解剖には深入りしない。だが、扱っている数式がどの空間スケールの話なのかは掴んでおきたい(図 2)。皮質の機能的な区画を領野、皮質より深い部分を皮質下と呼ぶ。ある場所から別の場所へ軸索を伸ばして信号を送る結合が投射で、高次の領野から早い段階の領野へ戻る結合がフィードバックである。

図 2: 大脳皮質の6層構造と、視覚の領野階層(模式)。上は皮質を垂直に切った断面で、第4層が主な入力層、第5層と第6層が皮質下への主な出力層である。フィードバックの投射が第4層を避けることに注意してほしい—第16章の予測符号化で、この非対称性が論点になる。下は領野の並びで、階層を上がるにつれて受容野が大きくなり、選択性が複雑になる。ただし戻りの結合も同じかそれ以上に多く、一方向の流れではない。

大きな区分

中枢神経系は脳と脊髄からなり、脳は大脳・小脳・脳幹に分かれる。大脳は脳の大部分を占め、小脳はその後ろ下に、脳幹は脊髄へ続く根元に位置する。本書が主に扱うのは大脳皮質、とくに視覚に関わる後頭葉(頭の後ろ側)・側頭葉(左右の側面)である。

皮質の6層構造

大脳皮質は厚さ2〜4 mm ほどのシートで、表面から深部へ6層に分かれる。層ごとに細胞の種類と結合が違い、第4層が主な入力層(感覚信号などを皮質へ中継する視床から)、第5層と第6層が皮質下への出力層、第2/3層が他の皮質領野への出力を担う。第16章の予測符号化では、この層構造が理論の要求と対応するかが論点になる。

領野と階層

皮質は機能的な領野に分かれる。視覚なら V1 → V2 → V4 → IT という順序があり(V2・V4 は視覚領野の名前、IT は物体認識に関わる下側頭皮質の略)、これを「階層」と呼ぶ。第11章の「階層を上がるにつれて表現がどう変わるか」は、この順序に沿った話である。

空間スケールの対応表

本書の各章がどのスケールを扱っているかを整理しておく。

スケール おおよその大きさ 本書の章
イオンチャネル ナノメートル 2章(HH 方程式の各項)
シナプス マイクロメートル 2章・8章(経験に応じて変わる性質、可塑性)
ニューロン 10〜100 μm 2章
微小回路・コラム(皮質の厚み方向に並ぶ細胞のまとまり) 0.1〜1 mm 4章(受容野)・13章(方位マップ)
領野 1〜10 cm 3章(ウィルソン・コーワン)・11章
脳全体 〜20 cm 16章

分かっていないこと

表は階層がきれいに整理されているように見せるが、スケールをまたぐ理解はほとんどできていない。 イオンチャネルの性質から回路の計算を導くことも、領野レベルの計算論的な記述からどんな細胞が必要かを演繹することもできない。単一ニューロンの性質を全部知っても、100万個集めたときに何が起きるかは分からないのである。「どのスケールが本質的か」にも合意はない。本書が扱う数学的な記述の多くは、特定のスケールの中で閉じている—このことは意識しておいてほしい。

出典 Felleman & Van Essen (1991)、カンデル神経科学 第2版。

確認問題

各問の頭にある印は問題の型である。[確認]は本文をなぞれば解ける、[導出]は本文が省いた一歩を埋める、[考える]は答えが一つに定まらない。末尾は対応する節を示す。この約束は全章に共通である。

  1. [確認]人工ニューロンの式 y = \varphi(\sum_i w_i x_i + b) が、生物のニューロンについて捨てている性質を三つ挙げよ。(第1節)

  2. [確認]記述モデル・機構モデル・解釈モデル(規範モデル)の区別を述べ、V1 の受容野に対してそれぞれどんな説明がありうるかを考えよ。(第2節)

  3. [考える]「十分大きなニューラルネットは連続な関数をいくらでも精密に近似できる。だから脳の入出力を再現できる」という主張から、「だから脳を説明した」は導けるだろうか。導けないとすれば、何が足りないのか。(第2節)

  4. [確認]マーの三水準を述べ、本書の第11〜13章がどの水準に対応するかを説明せよ。(第2節)

  5. [考える]同じ数式で書けることと、同じ機構であることは違う—本書が繰り返す主張である。この二つを区別する検査を、一つ考案せよ。何を観測できれば「式が同じなだけ」と言えるか。(第2節・第18章第9節)


参考文献

  • Jonas, E., & Kording, K. P. (2017). Could a neuroscientist understand a microprocessor? PLOS Computational Biology, 13(1), e1005268. https://doi.org/10.1371/journal.pcbi.1005268 — 既知の計算装置を使い、活動の解析と機構理解の隔たりを調べた研究[2節]

  • Ramachandran, V. S. (1985). The neurobiology of perception. Perception, 14(2), 97–103. https://doi.org/10.1068/p140097 — 知覚を用途別の「手品の袋」と捉え、進化の歴史と神経の実体を重視する議論[2節]

  • Fakhar, K., & Astle, D. E. (2026). Embracing the suboptimal organization of the human brain. Trends in Cognitive Sciences. https://doi.org/10.1016/j.tics.2026.04.008 — 単一目的の最適設計という脳観を問い、複数の要求と制約から配線を捉える議論[2節]

各章の末尾に、その章で触れた文献のうち次に読むとよいものを挙げる。角括弧はその章の該当節を指す。

  • Marr, D. (1982). Vision: A Computational Investigation into the Human Representation and Processing of Visual Information. W. H. Freeman. — 三水準の出典[2節]。同書の第1章だけでも読む価値がある
  • Richards, B. A., et al. (2019). A deep learning framework for neuroscience. Nature Neuroscience, 22(11), 1761–1770. https://doi.org/10.1038/s41593-019-0520-2 — 「目的関数・学習則・アーキテクチャ」で脳を語る枠組み[2節]
  • LeCun, Y., Bengio, Y., & Hinton, G. (2015). Deep learning. Nature, 521(7553), 436–444. https://doi.org/10.1038/nature14539 — 深層学習側からの見取り図[1節]
  • Dayan, P., & Abbott, L. F. (2001). Theoretical Neuroscience: Computational and Mathematical Modeling of Neural Systems. MIT Press. — 本書全体の下敷き。計算神経科学の標準的な教科書
  • Kaplan, D. M., & Craver, C. F. (2011). The explanatory force of dynamical and mathematical models in neuroscience: a mechanistic perspective. Philosophy of Science, 78(4), 601–627. https://doi.org/10.1086/661755 — 3M 基準の出典[2節]
  • 神谷之康(2026)「脳とAI は似ているか — NeuroAI の挑戦」『人工知能』41(2), 93–100. — 本書が扱う論点の見取り図[2節]。短く読める