第5章 ライティング

この章では、論文・レポート・申請書・メールに共通する土台、すなわち「読者が頭から読んで、すっと理解できる文章」の作り方を扱う。うまい文章とは、気の利いた言い回しのある文章ではなく、読者の理解が途中で止まらない文章のことだ。書く行為の核心は、自分の頭の中にある前提・用語・因果の順序を、読者が外から追える順序に並べ直すことにある。

ポイント:核は §2 の一つの原則に集約される―上位(文書全体・節・段落の冒頭)で約束したテーマを、下位ではみ出さず・漏らさず展開する。本章に登場する階層的包含(はみ出すな・漏らすな)、茂木型(幹から枝へと自然に分岐させる構成法)、ぶら下がり(新しい概念がどの話題の下に出てきたかを見えるようにする書き方)、論理の契約(冒頭で交わした約束を本文で果たす)は、すべてこの同じ原則の別名である(§2.1)。§1 で定番書の本質を押さえ、§2 でこの原則を読みにくさの診断道具に変え、§3 で「型を目的化しない」感覚をつかむ。§4・§5 はそれぞれ日本語・英語での実践、§6 は校正・推敲と AI 活用、§7 は表記基準。定番書のルールは暗記するためではなく、読みにくさの原因を突き止める道具として読むとよい。


1. ライティングの共通原則

文章の根本原則は、突き詰めればただ一つ―前から読んで、理解が止まらずに最後まで読めるように書くことである。読者は親切で読んでくれるわけではない。理解がどこかで一度止まれば、良いデータも良い問いもそこで評価される機会を失う。だから文章技法は飾りではなく、研究の価値を相手が判断できる形に翻訳する実務だ(読者中心 reader-centered)。

1パラグラフ1トピックや結論先出しといった定番の技法は、この「理解が止まらない」を実現するための足場にすぎない。同じ目的を達成できるなら、型は捨ててよい(型を目的化しない議論は§3)。

実際に一つの段落を書くときは、次の3点を意識すれば足りる。

  1. その段落で何を言うのかを決める。
  2. その主張に必要な前提や根拠を書く。
  3. 書いたあとに、読者の立場で「どこで(理解が)止まるか」を点検する。

文章全体を書くときは、これに加えて全体を見渡す視点―どの段落をどの順に並べ、論証全体がどこへ向かうのか―も要る。

ただし、とくにアカデミックな文章では「読みやすさ」だけでは足りない。それに加えて、何らかの主張を論証し、説得力を持たせることが決定的に重要になる。ここで効いてくるのが、技法はアーギュメント(論証を要する主張)の代用品ではない、という点だ。阿部幸大(2024)が指摘するように、学術的価値は「面白いと思ってもらえるか」という期待の中に自然発生するのではなく、先行研究との関係を示し、自分の主張が現行の議論をどう更新するかを書き手が作り込んで初めて見える。

阿部(2024)の議論でとくに示唆的なのは、アーギュメントを立てることそのものを研究の核に置く点である。大切なのは、本当かどうかまだ分からない主張をあえて立て、論理とエビデンスで論証していくプロセスであり、これは必ずしも「リサーチクエスチョン(問い)」の形をとる必要はない。問いから入る研究もあれば、主張から入る研究もある。そして、自分のアーギュメントを自分で立てられるようになることは、博士課程の一つの大きな目標でもある。最初は指導教員や共著者の助けを借りてよいが、最終的には、検証に値する主張を自力で立てられる研究者になることを目指す(第1章の「自立」とも重なる)。戸田山和久(2012)も、論文には問い・主張・論証が要り、完成原稿をいきなり書くのではなく、まず骨格を作ると説く。

定番書はおおむね同じ少数の原則に収束する。下表に本質だけを示す(各書誌は章末の参考文献)。

原則 一言でいうと
明瞭さ(Clarity) 不要な語を削る(Strunk & White, Zinsser, Orwell)。
結論先出し(Answer First) 最も伝えたいことを冒頭に置く(Minto)。
事実と意見の分離 検証可能な記述と解釈を混ぜない(木下是雄)。詳しくは §2.5。
認知負荷を下げる 既知→未知の順、一文一義、逆茂木型の回避(Pinker, 本多勝一, 木下是雄)。
推敲の不可欠性 良い文章は書き直しから生まれる(Lamott, King, 結城浩)。
ノート神谷研の視点

本章では 言語や国をまたいで使える原則 と、英語圏・特定分野で発達した書法 を意識的に区別する。明瞭さ・段落の統一・事実と意見の分離・認知負荷への配慮は広く通用する。他方、スタイルマニュアルやプレイン・ランゲージの制度化には英語圏由来の部分が大きい。まず世界標準の考え方を押さえ、そのうえで日本語文脈や英語圏の慣行に合わせて調整する。


2. 重要概念:原則を技法に展開する

ここで扱う概念は暗記用語集ではない。「何か読みにくい」「論理が飛んでいる気がする」と感じたとき、どこを点検すればよいかを教える診断道具として使う。

2.1 一つの原則とその四つの名前

1パラグラフ=1トピックは実用文・学術文の基本フレームワークである。段落の冒頭に、その段落が何についてかを示す一文(トピックセンテンス)を置けば、読者は要点を把握しやすくなる。ただしトピックセンテンスを置くことは、良い文章の必要条件でも十分条件でもない。明示的なトピックセンテンスを置かない優れた論文もあるし、形式だけ守って無機質になる文章もある。

頭で理解していても、書くと段落にいつの間にか別の話題が紛れ込む―これは経験ある書き手でも起こる。神谷研究室がこれを防ぐために最も繰り返し説くのが階層的包含の原則である。これは厳密な規則というより努力目標で、例外もあるが、目安として骨子は次の4点に集約される。

  1. パラグラフは、トピックセンテンスが示したテーマの外側にはみ出さない。
  2. セクションは、その導入部が示したテーマの外側にはみ出さない。
  3. 論文全体は、Introduction が示したテーマの外側にはみ出さない。
  4. 論文全体は、最初の一文が示したテーマの外側にはみ出さない。

たとえば冒頭に「近年、Transformer を利用した大規模言語モデルが文脈理解で顕著な性能を示している」と書いたなら、その論文で脳の話を唐突に持ち出すことはできない。前に出した話題(ここでは Transformer)に脳の話題を関連づけて導入し、うまくぶら下げる形でなら展開してよい。要は、新しい概念が直前の何にぶら下がって現れたのかが読者に見えればよい。最初の一文はスコープの目安を与えるが、それは関連する発展まで禁じるものではない。

この原則には相補的な面がある。上位のテーマを「超えない」だけでなく「ぴったりカバーする」ことが要る。「3つの手法を比較する」と宣言した段落は3つすべてに触れねばならない。超えず、かつ漏らさない―この二面性が論文の整合性を保証する。

ノート神谷研の視点:同じ原則の四つの名前

神谷研で別々の語で呼ばれる次の概念は、すべて同一原則の言い換えである。 - 階層的包含の原則(上の4点)―「はみ出すな、漏らすな」という規律。 - 茂木型構成法―木下是雄が避けよと説いた逆茂木(さかもぎ)型(結論や主旨が文末まで見えず、最後まで読まないと語の係り先や話の行き先をつかめない構造)の裏返し。文書を一本の木と見て、(中心概念)→主要な枝(各節の議論)→小枝(証拠・例)へと、根元(タイトル)から先端へ自然に分岐させる構成法。読者は幹をつかめば枝の行き先を予測できる。 - ぶら下がり作文法―神谷がよく口にする、階層的包含を運用の感覚に言い換えた呼び方。新しい概念が、どの上位の話題にぶら下がって出てきたのかが分かれば、形式的なトピックセンテンスがなくても、また厳密にテーマ内に収まっていなくても読者は迷わない。逆に、どこにもぶら下がらない概念が現れると強くつまずく。 - 論理の契約(第6章 §4.1)―最初の文・イントロで読者と交わした約束を本文で果たすこと。

規律が「階層的包含」、設計図が「茂木型」、運用感覚が「ぶら下がり」、読者との関係で見たものが「契約」。大事なのは「最初の文に必ず要約を書くこと」そのものではなく、概念の親子関係が段落・節・論文全体のどのレベルでも見えることだ。

2.2 ピラミッド・ストラクチャー

バーバラ・ミント(1999)The Minto Pyramid Principle, 1987)が体系化した論理構成法。普遍的な唯一解ではなく、結論先行と論点整理を徹底するための強力な道具と考えるとよい。

  • 結論先出し(Answer First):最も伝えたいメッセージを冒頭に。
  • MECE(Mutually Exclusive, Collectively Exhaustive、漏れなく重なりなく):根拠を漏れなく・重なりなく整理する。
  • SCQA(Situation–Complication–Question–Answer、状況–複雑化–疑問–回答):導入部を構成する型。
  • 縦の関係(上位と下位に「なぜ?→だから」)と横の関係(同レベルの論点を論理的順序で並べる)。

2.3 既知から未知(Old-to-New)

文頭に既知情報(given)を、文末に新情報(new)を置く。心理言語学の given-new 契約Clark & Haviland, 1977; Haviland & Clark, 1974)に対応し、読者がワーキングメモリ(短期に情報を保持・操作する認知システム)の負荷を抑えつつ新情報を統合できる。Williams & Bizup (2017) はこの知見を文章作法に体系化し、主語に character(登場人物)、動詞に action(行為)を置く2原則を示した。動詞を名詞に変える名詞化(nominalization)(“discover”→“the discovery of”)は主体と行為の対応を曖昧にするため、学術文では意識的な見直しが要る。英語では能動態を原則とし、受動態は行為者を意図的に隠す場合などに限る(Strunk & White; Orwell, 1946)。日本語でも主語を明示し能動態を基本とする(学術英語における受動態の扱いは §5.3)。

2.4 一文一義

一つの文に一つの主張だけを盛り込む(木下是雄, 1981)。一文を書くたびに、一義的に読めるか、他の意味に取られないかを吟味する。複数の情報を詰め込むと修飾関係が不明確になり、どの語が何に係るか読み手が解析しづらい。ワーキングメモリは有限なので、修飾が長く絡む文は本旨の理解を妨げ、木下のいう逆茂木型(§2.1)にもなりやすい。日本語では本多勝一(1982)が修飾語の順序と読点の打ち方を体系化している。一文の長さは木下の目安で60字超なら分割を検討するが、絶対的な数値ではなく、複数の主張を詰め込まないことが優先される。

2.5 事実と意見の分離

  • 事実:検証可能な客観的記述(データ、観察結果)。
  • 意見:著者の解釈・評価・推論。

両者を文の形と配置場所で明示的に区別することが、論理的な文章の前提である(木下是雄, 1981)。学術報告では Results(事実)と Discussion(意見)を物理的に分離する IMRaD 構造が国際標準である(第6章)。事実と意見の混同は、結果を見てから仮説を立てたように見せる HARKing や過大主張につながり、研究の信頼性を損なう(第2章参照)。学生が最も陥りやすい罠であり、神谷研の原稿指導で最も厳しく見る点の一つである。

2.6 知識の呪縛(Curse of Knowledge)

Pinker (2014) がスタイルガイドの中心概念に据えた認知バイアスで、「自分が知っていることを、他者が知らないと想像するのが難しい」状態を指す。書き手は専門用語(jargon)を説明せず、論理の飛び石を「したがって」で飛ばし、具体例を省く。Pinker はこれを悪文(とくに学術論文の難解さ)の根本原因と位置づけ、「専門的であることと抽象的であることは別だ」と論じる。

対策:(1) 初出の専門用語を定義する。(2) 具体例・比喩で抽象概念を錨づける。(3)「明らかに」で省略せず論理の各ステップを明示する。(4) 時間を置いて読み直すか、分野外の読者に試読してもらう。

2.7 プレイン・ランゲージ(Plain Language)

専門的内容を、対象読者が「見つけられ、理解でき、使える」ように書く手法。考え方は広く応用できるが、運動としては英語圏の行政・公共コミュニケーションで発達した。ISO 24495-1:2023 は Relevance, Findability, Understanding, Usability の4本柱で整理し、米国では Plain Writing Act of 2010 が連邦機関に使用を義務づけている(plainlanguage.gov)。研究者にとって重要なのは制度の模倣ではなく、「対象読者が使える形に書く」という原則の移植である。リーダビリティ指標(Flesch-Kincaid 等)は補助的な目安にとどまる。

2.8 書き進め方(執筆プロセス)

書けない理由を「才能がない」と考える必要はない。Flower & Hayes (1981) が示したように、執筆では内容選択・言語化・読者意識・一貫性管理・計画・評価という複数の認知過程が同時に走る。手が止まるのは努力不足ではなく、処理すべき判断が多すぎるからだ。そこで有用なのが認知負荷を分離する執筆プロセスである。最初から Introduction を完璧に書こうとせず、図・結果・箇条書き・段落の主題文といった負荷の軽い部品から組み立てる。この「順番の設計」は第6章の論文執筆でも実践上きわめて重要になる。


3. 原則を超えて:型を目的化しない

§2 の原則は出発点であり、読者が理解できるなら別のやり方もありうる。パラグラフ・ライティングを含め、これらの型はあくまで一つの指針―上達のための「はしご」にすぎない。最終的には、前から読んでスムーズに、理解が止まらずに読めればよい。熟達したら、はしごから降りて自由なスタイルで書いてよい。ただし自由にするにしても、「読み手が理解できること」「信頼性があること」「透明性があること(論拠やデータの来歴をたどれること)」の3点だけは手放せない。型は、まだその3点を安定して満たせないあいだ、それを助けるための足場である。

教科書的な「トピックセンテンス→サポート→結論文」の三部構成は一つの型にすぎない。読みやすい論文では結論文がなかったり、トピックセンテンスが明示されなかったりする。トピックセンテンスは段落のテーマを示すもので、「要約」と同一視する硬直した理解は避ける。本質は One paragraph, one topic だ。定型化への批判として、Labaree (2018) は形式の目的化を、Connor & Ene (2019) は five-paragraph essay の普遍性への疑問を指摘する。事実と意見の分離(§2.5)も絶対ではなく、生物系の Results では「目的→方法→結果→解釈→次の目的」と織り交ぜた方が分かりやすいことがある。

予測可能性と予想外のバランスも効く。読者は先を予測できる安心と、予測を程よく裏切られる驚きの両方から満足を得る。Cheung et al. (2019) は音楽で不確実性と驚きがともに快感を予測することを示したが、文章の理解にも同型の仕組みが働くと考えられる。冒頭に要約を並べるだけでは単調になる。前に出たテーマにぶら下げる形で新しい視点を展開すると、予測可能性を保ちつつ展開に弾みがつく。

ノート神谷研の視点:機械的に見る、しかし形式が目的ではない

神谷研の原稿指導では、段落構造をかなり機械的に見る。各段落には、それが何を言うのかを支配する軸が必要で、その軸から外れた論点を持ち込んではいけない。逆に、段落や節で約束した論点はその内部で過不足なく回収する(木下の作文原則を段落設計に落とし込んだもの)。

ただし最終目標は形式を守ることではない。良い論文の本質はパラグラフ・ライティングそのものにはなく、読者にとって最初は信じがたい主張の妥当性を、論理とエビデンスで少しずつ引き上げていくことにある。説得力は形式でなく議論の掘り下げで決まる。表面をなぞるのでなく背後の仕組みや因果まで降りることで、主張は「ありそうだ」から「信じてよい」に変わる。


4. 日本語ライティングの実践

日本語で考え、日本語で下書きする場面を想定し、日本語固有の実践ルールを扱う。木下是雄(1981)と本多勝一(1982)が理工系・実用文の二大定番であり、いずれも読者の認知負荷を軸に具体的ルールを提示する。これは単なる和文作法ではなく、研究の論理を最初に立ち上げる言語としての日本語を、曖昧さを排した精度の高い思考の器にする技術である。

4.1 句読点・修飾語・文体のルール

§2.1(茂木型)・§2.4(一文一義)の原則を、表記レベルで実行する手引き。

  • 一文の長さ:60字超で分割を検討(木下)。目安であり、複数主張を詰め込まないことが優先。
  • 読点の打ち方:長い修飾語の境界、長い主語の直後、接続助詞(「が」「ので」)のあと、並列語句の間に打つ(本多, 1982)。
  • 修飾語の順序:日本語の修飾は前からかかるため、長い修飾語ほど先に置く。並列修飾は時・場所・様態など自然な順序で。
  • 漢字とかなのバランス:漢字含有率30〜40%が目安。難読漢字はひらく。専門用語は初出時に読みを補う(知識の呪縛対策、§2.6)。
  • 文体:常体(「である」)と敬体(「です・ます」)を一文書内で混在させない。学術論文・レポートは常体が標準。
日本語ライティングの定番書
書籍 概要
木下是雄(1981)『理科系の作文技術』中公新書 日本語作文法の最重要書。パラグラフ・ライティング、事実と意見の分離、逆茂木型の回避、一文一義。
本多勝一(1982)『日本語の作文技術』朝日文庫 修飾語の順序・読点の打ち方を豊富な実例で体系化。木下と並ぶ二大定番。
清水幾太郎(1959)論文の書き方』岩波新書 「短文から始めよ」「『が』を警戒せよ」など、明快な文体で文章の基本を説く名著。
戸田山和久(2012)『論文の教室』NHKブックス 「問いと主張と論証」を核に、アウトラインを育てて論文にする発想を対話形式で学べる。
野口悠紀雄(2002)『「超」文章法』中公新書 「メッセージが8割」。何を書くかの企画力・構成力を重視。
結城浩(2013/2014)『数学文章作法 基礎編/推敲編』筑摩書房 「読者のことを考える」を一貫原則に、文の流れ・順序・階層、そして推敲の方法論を解説。
松浦年男・田村早苗(2022)日本語パラグラフ・ライティング入門』研究社 樹形図・パラグラフメモなど、情報整理から書き始めるまでの橋渡しが実践的。
小笠原喜康(2018)『最新版 大学生のためのレポート・論文術』講談社現代新書 書式・引用・文献探索を広く押さえる基本書(Word 2016 前提の操作は読み替えが必要)。
喜多一ほか(2022)情報基礎演習 2022』京都大学 京大の初年次教材。知的生産・学術情報探索・参考文献を情報リテラシーの中で学べる(環境はローカル前提)。

5. 英語ライティングの実践

英語ライティングで本当に難しいのは、単語を置き換えることではなく、日本語の論理展開をそのまま持ち込まないことである。ここで扱う書法の一部は国際学術出版の共通慣行だが、一部は英語圏ローカルな好みにも依存する。その違いを意識しながら、情報配置・主張の強さ・導入の型を、表現集ではなく思考の型として確認する。スタイルガイドの古典(Strunk & White, Williams, Pinker, Zinsser 等)の本質は §1・§2 で押さえた。文法・用法・表記の正式な規定は §7 を参照。

5.1 語彙・定型表現

非母語話者が学術英語で苦労する最大の原因の一つは、語彙と定型表現の不足である。学術論文には分野を問わず繰り返し使われる表現パターン(discourse markers)があり、身につけると執筆速度と自然さが大きく向上する。

  • Manchester Academic Phrasebank:各セクション(Introduction–Discussion)で使える定型表現を体系化した無料リソース。
  • Academic Word List (AWL)Coxhead, 2000):学術テキストに高頻度で出現する570語族。派生に Academic Collocation List(Ackermann & Chen, 2013)。

5.2 ヘッジングとブースティング

主張の強さを証拠に見合う水準に調整し、過大主張を防ぐ言語的装置(Hyland, 1998)。神谷研が重視する「主張の強さ=証拠の強さ」の言語的実装である(証拠が弱いなら主張も控えめにするという「正しい弱さ」の考え方。第2章・第10章と連動)。

  • ヘッジング(弱める):may, might, could, suggest, indicate, appear to, possibly, a tendency。
  • ブースティング(強める):clearly, certainly, demonstrate, establish, confirm。
  • 原則:過大主張も過小主張も避け、証拠の強さに合わせる。

5.3 レジスターとフォーマリティ

学術英語には固有のレジスター(register)がある。

学術英語と日常英語の違い
特徴 学術英語 日常英語
語彙 ラテン・ギリシャ語由来(investigate, demonstrate, utilize) ゲルマン語由来(look into, show, use)
文体 名詞化が多い 動詞中心
受動態も一般的(ただし過度は避ける) 能動態が主流
人称 We を主語にすることが増えている I/you が自然
ヘッジング 慎重な表現が期待される 断定的でもよい

投稿先のジャーナルのスタイルを確認すること。

英語ライティングの定番書
書籍 概要
Williams & Bizup (2017). Style: Lessons in Clarity and Grace (12th ed.). 主語=character/動詞=action、既知→新情報、名詞化の回避を体系化。
Pinker, S. (2014). The Sense of Style. 認知科学者が「なぜ悪文が生まれるか」を知識の呪縛から分析。
Strunk & White (2000). The Elements of Style. “Omit needless words”。簡潔さの古典(文法記述は Pullum, 2009 の批判あり、文法判断は Garner を併用)。
Zinsser (2006). On Writing Well. Clarity, Simplicity, Brevity, Humanity。科学ライティングの章あり。
King (2000) / Lamott (1994). On Writing / Bird by Bird. 速写と推敲(“2nd Draft = 1st Draft − 10%”)、“Shitty First Drafts”。
Hofmann (2022). Scientific Writing and Communication (5th ed.). 論文・グラント・発表・申請まで網羅する包括テキスト。
Wallwork, A. 『日本人研究者のための論文の書き方/英文レター・メール術』講談社 日本人が犯しやすい誤りをネイティブ視点で指摘(メール術は第6章・第9章でも参照)。
原田豊太郎/廣岡慶彦. 『理系のための英語論文執筆ガイド』『同 イロハ』 誤用防止・各セクションの英語表現を例文で解説。

6. 校正・推敲・AI 活用

§1–§2 の原則(階層的包含、逆茂木型の回避、推敲)を実践する際、ツールが補助になる。人手による論理の吟味は代替できないが、誤字脱字・冗長表現・文の長さ・受動態の多用などは機械的に検出でき、「自分では見えなくなった癖」を可視化できる。

校正・推敲ツール一覧
ツール 用途
textlint JS製プラガブル校正。技術文書向けプリセットが定番。CLI・エディタ統合。
RedPen 日英対応。一文の長さ・句読点数・重複表現を検出。
校正さん / Shodo 日本語の誤字脱字・表記揺れを Web で検出。
Grammarly 英語の文法・スペル・スタイル・トーンを包括チェック。
Hemingway Editor 長文・受動態・副詞をハイライトし読解難易度を表示。
ProWritingAid / LanguageTool 文体分析・冗長表現検出(後者はオープンソース・多言語)。

AI を活用した校正・推敲ツール(ChatGPT、Claude、DeepL Write、Trinka 等)の扱いと、開示の書き方は付録「研究における AI 活用ガイド」を参照。AI 利用における透明性・著者責任・剽窃の回避・ハルシネーション(事実と異なる内容の生成)への対応は第2章および付録で体系的に扱う。本節では作文に固有の使い方だけを示す。

AI は「翻訳機」や「自動執筆機」ではなく、繰り返し推敲を支援するツールとして使う。自分で書いた草稿を渡して改善提案を受け、鵜呑みにせず取捨選択し、「10回書き直す」プロセスを加速させる。出力のファクトチェックは必ず行う。

ノート神谷研の視点:Markdown 階層分解法と「監査」させる使い方

自信のない段落・節を改善するとき有効な手法がある。まず内容を Markdown の階層的な箇条書きに分解し、各文がどの文にぶら下がっているか(主題上の従属関係)をはっきりさせる。どの概念が上位でどれがその説明・証拠かが分かればよく、これで §2.1 の階層的包含に照らし「はみ出し」「漏れ」を目視確認できる。構造が整ったら箇条書きを AI に渡して文章化させる―著者が骨格を設計し、AI が散文化を担う分業だ。

研究室の実務では、AI に最初にやらせるべきは「代筆」ではなく「監査」であることが多い。中心主張を1文で言えるか、各段落がどこにぶら下がっているか、事実と解釈が混ざっていないか、過大主張がないか、代替説明を検討しているか―これらは AI に点検させやすい。草稿を丸ごと書かせるより、著者が作った骨格に対する欠陥検出器として使うほうが安全である。

AI が文章生成を代替するほど、人間固有のスキル―問いを立てる力、論理の骨格を設計する構成力、AI 出力を評価・修正する批判的読解力、著者固有の文体(voice)、ファクトチェック―の価値が増す。


7. スタイルガイド・表記基準

§1–§2 の原則は内容の設計に関わる。本節はそれを表記のレベルで具体化する参照先である。論文投稿・レポート提出・公的文書では、採用するスタイルガイドに従って表記(漢字とかなの使い分け、引用形式、句読点)を統一する。投稿先の Author Guidelines が最優先で、本章はその土台となる共通基準を提供する。各引用スタイル(APA、Chicago 等)の論文での使い分けは第6章「3.7 引用の仕方」、投稿規定は第10章と連動する。

主要スタイルガイド
ガイド 概要
共同通信社(2022)『記者ハンドブック 第14版』 日本語の標準的な表記基準。常用漢字・送り仮名・数字・差別語の指針。
朝日新聞社『朝日新聞の用語の手引き』 記者ハンドブックと並ぶ二大参照先。
文化庁『公用文作成の考え方』(令和4年建議) 公的文書の表記の現行指針。
The Chicago Manual of Style (17th ed.) 英語圏の包括的スタイルマニュアル。学術出版の標準。
APA Publication Manual (7th ed.) 心理学・社会科学の論文・レポートの標準書式。
plainlanguage.gov 米国連邦政府のプレイン・ランゲージガイドライン。

まとめ:この章の幹

  1. うまい文章=読者の理解が途中で止まらない文章。技法はアーギュメントの代用品ではなく、研究の価値を読者が判断できる形に翻訳する実務。
  2. 核は一つ―上位で約束したテーマを、下位ではみ出さず・漏らさず展開する。階層的包含・茂木型・ぶら下がり・論理の契約は同じ原則の別名(§2.1)。
  3. 具体技法:ピラミッド/MECE/SCQA(§2.2)、既知→未知(§2.3)、一文一義(§2.4)、事実と意見の分離(§2.5。本書では説明をここに集約)、知識の呪縛への対策(§2.6)、プレイン・ランゲージ(§2.7)、認知負荷を分離する執筆プロセス(§2.8)。
  4. 型は手段であり目的ではない。最終目標は、信じがたい主張の妥当性を論理とエビデンスで引き上げること(§3)。
  5. 日本語は認知負荷を軸にした句読点・修飾語・文体のルールで精度を上げる(§4)。
  6. 英語は語彙・定型表現・ヘッジング・レジスターを、表現集でなく思考の型として使う(§5)。
  7. AI には代筆でなく監査をさせ、著者が骨格を設計する(§6)。表記は採用ガイドで統一(§7)。
参考文献

本章に関連する文献・指針・ウェブサイトをリストする.APA第7版に準拠.リンクは執筆時点でアクセス可能であったもの.

文章術・ライティング原則

  • 木下是雄(1981)『理科系の作文技術』中公新書,chuko.co.jp
  • 本多勝一(1982)『日本語の作文技術』朝日文庫(新版: 朝日新聞出版,2015).
  • 清水幾太郎(1959)『論文の書き方』岩波新書,iwanami.co.jp
  • 野口悠紀雄(2002)『「超」文章法―伝えたいことをどう書くか』中公新書,chuko.co.jp
  • 小笠原喜康(2018)『最新版 大学生のためのレポート・論文術』講談社現代新書,kodansha.co.jp
  • 喜多一・北村由美・日置尋久・酒井博之(2022)『情報基礎演習 2022』京都大学,repository.kulib.kyoto-u.ac.jp
  • 結城浩(2013)『数学文章作法 基礎編』筑摩書房,chikumashobo.co.jp
  • 結城浩(2014)『数学文章作法 推敲編』筑摩書房,chikumashobo.co.jp
  • 阿部幸大(2024)『まったく新しいアカデミック・ライティングの教科書』光文社,kobunsha.com
  • 松浦年男・田村早苗(2022)『日本語パラグラフ・ライティング入門―読み手を迷わせないための書く技術』研究社,kenkyusha.co.jp
  • 戸田山和久(2012)『論文の教室―レポートから卒論まで』新版,NHKブックス.
  • バーバラ・ミント(1999)『考える技術・書く技術―問題解決力を伸ばすピラミッド原則』ダイヤモンド社,diamond.co.jp
  • Booth, W. C., Colomb, G. G., Williams, J. M., Bizup, J., & FitzGerald, W. T. (2024). The Craft of Research (5th ed.). University of Chicago Press. press.uchicago.edu
  • Clark, R. P. (2008). Writing Tools: 55 Essential Strategies for Every Writer (10th anniversary ed.). Little, Brown. hachettebookgroup.com
  • King, S. (2000). On Writing: A Memoir of the Craft. Scribner. simonandschuster.com
  • Lamott, A. (1994). Bird by Bird: Some Instructions on Writing and Life. Anchor. penguinrandomhouse.com
  • Minto, B. (2009; 原著 1987). The Minto Pyramid Principle: Logic in Writing, Thinking, and Problem Solving. Minto International.
  • Orwell, G. (1946). Politics and the English Language. Horizon. orwell.ru
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認知科学・心理言語学

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パラグラフ・ライティング批判

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スタイルガイド・表記基準

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英語ライティング(書籍)

  • Bailey, S. (2025). Academic Writing: A Handbook for International Students (6th ed.). Routledge.
  • Coxhead, A. (2000). A new academic word list. TESOL Quarterly, 34(2), 213–238.
  • Ackermann, K., & Chen, Y.-H. (2013). Developing the Academic Collocation List (ACL): A corpus-driven and expert-judged approach. Journal of English for Academic Purposes, 12(4), 235–247.
  • Hofmann, A. H. (2022). Scientific Writing and Communication (5th ed.). Oxford University Press.
  • Hyland, K. (1998). Hedging in Scientific Research Articles. John Benjamins.
  • Silvia, P. J. (2019). How to Write a Lot (2nd ed.). APA.
  • Swales, J. M. (1990). Genre Analysis. Cambridge University Press.
  • Sword, H. (2012). Stylish Academic Writing. Harvard University Press.
  • Wallwork, A.(前平謙二・笠川梢訳, 2021).『ネイティブが教える 日本人研究者のための英文レター・メール術』講談社.
  • 原田豊太郎(2000)『理系のための英語論文執筆ガイド』講談社ブルーバックス.
  • 廣岡慶彦(2022)『理系のための英語論文執筆のイロハ』日本評論社.

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